「難治がん」と闘う新聞記者が、突然憎しみを覚えた「小鬼」の声

働き盛りの40代男性。朝日新聞記者として奔走してきた野上祐さんはある日、がんの疑いを指摘され、手術。厳しい結果であることを医師から告げられた。抗がん剤治療を受けるなど闘病を続ける中、がん患者になって新たに見えるようになった世界や日々の思いを綴る。

*  *  *
 つい先日、身体障害者手帳を受け取った。

 区役所の長椅子には何人か待っていて、こちらが窓口に近づくと、1人がちらりと見た。

 窓口の職員に歩み寄ったが、微笑むだけで何も言わない。おや、と思い、もう一歩そばによると、ようやく「本日はどのようなご用件で……」と小声で尋ねられた。

 声はふつう相手に聞かせ、何かを伝えるものだ。だがここでは、ほかに聞かせないこともまた大切なのだ、と感じた。

 手帳の説明でも、ここぞという話になるととたんに声が小さくなる気がする。たとえば、手帳をもらうきっかけになったお腹の人工肛門の話などだ。そうでないと嫌がる人がいるのかもしれないが、少々まどろっこしい。構わずいつものようにしゃべった。それをゴーサインだと受け取ったのか、相手も同じような調子で話し出した。

手帳には都バスや都営地下鉄にただで乗れるカードが挟まれていた。運転手や駅員に見せれば使えて、希望すればパスモに切り替えられる、ということだった。

「社会福祉」の世界を当事者としてみるのは初めてだった。夕方、仕事から帰った配偶者に聞かせた。「きっと障害者手帳のことを駅員にも知られたくない人がいるんだろうね」とパスモへの切り替えのことを言うと、「そのほうが、駅員がいない改札でも使えて便利なだけじゃないの」と言われた。

 確かにそうかもしれない。区役所にはわずか十数分間いただけだ。それなのに、身を寄せてひそひそ話す感覚を妙に意識しているのに気づいた。

 声の大きさは相手との距離に密接に関わる。政治家や官僚の張りのある声を相手にしていたときは、それなりの距離があったものだ。
病気で住む世界が変わると、その辺にも変化が生まれる。同じ空間にいくつもの世界が重なり合っているのだ。

●なぜか耳に突き刺さった声

 声では忘れられないできごとがある。

 もう1年も前のことだ。自宅から最寄り駅まで7分ほど散歩したところで、お腹がぎゅっと捕まれたようにこわばって動けなくなり、駅ビルのベンチにへたり込んだ。

タクシーで帰ろうかとも思ったが、乗り場までの1分間を歩く気力がどうしてもわかない。どうしようかと考えていたとき、ベビーカーを押した家族づれが目の前に現れた。エレベーターを待つ間、男の子が甘えるように声を上げだした。それを父親がかまう。幸せを絵に描いたような風景だ。

 ところがなぜか、その声が耳に突き刺さった。そこを離れられればいいが、体が動かない。丸めた背中の先で、無邪気にはしゃぎ続ける子どもが、無頓着に人を傷つける小さな鬼のように思えた。

「いなくなれ。とにかく早く目の前からいなくなれ」

エレベーターがやってきて親子連れが乗り込むまで、ひたすら念じ続けた。しかも、もっとひどい言葉で。

 抗がん剤の副作用がたまたまそのように現れたのかとも想像したが、原因はわからない。幸い、そうしたできごとはこれきりだ。もちろん、近所の赤ん坊の夜泣きや通学する子どもたちのはしゃぎ声をうるさく感じることはあるけれど、憎しみまでは覚えない。

今にして思えば、子どもが鬼だったわけではない。そう感じた自分の心の中にこそ鬼がいたのだ。体のしんどさでさいなまれた心に、鬼はそっと忍び寄る。目の前の幸せを、幸せと当たり前に感じられるためには、近づいてくる鬼に早く気づき、自分が内側から食い破られ、飲み込まれる大きさまで育つのを防ぐしかない。

●毎日30粒の薬を3食にわけて飲む

 点滴を受けるのは抗がん剤が約10日にいっぺんで、14時間にわたる栄養剤が週2回のペースだ。毎朝、痛み止めなど2種類のテープを張り替える。さらに30粒の薬を3食にわけて飲む。

 そのうち11粒を配偶者が小皿にあけるカチンカチンという音が、私にとっての朝だ。

 夏真っ盛りのころであれば、日が昇るのを待ちきれないように、あたりでセミが鳴きはじめる。近所の神社のそばを通ると、大合唱に全身を包まれる。うるさい、と身をこわばらせることはない。短い一生を終える前の荘厳な営みと思えるうちは大丈夫だ、と思う。

「鳴け、鳴け」。思いに応えるように、鳴き声が背中から追いかけてくる。

(出所:AERA.dot連載「書かずに死ねるか―『難治がん』と闘う記者」、2017年9月9日掲載)

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