がんと闘う記者が考える 「弱さ」と「強さ」
昨年2月にがんの手術を受けた病院には、大きな桜があった。見舞いにきた先輩記者と並んで写真を撮った。
「これが最後の桜かもしれない」。ならば、この経験を逆手に取り、少しでも記者として成長して散りたい、と考えた。
がんは、日本では二人に一人がかかるとされる。経済格差、性別、病気の有無。いろいろな基準によって二分される国民の「弱いほう」の見方が心からできるようになれたら――。だが、甘かった。そんなことを考えられるのはよほど体調がいいときだけだ。
抗がん剤の点滴を受けるため、10日に1回ほど通院する。各フロアに患者と家族が集まっている。似通った境遇なのだから、少しは悩みなどを語り合う気持ちになっても良さそうだが、そうはならない。
あまりの体調の悪さに心の余裕を失い、そこにいる人たちの目がぎらついていたり、光を失っていたりするように見える。本当にひどいときには、お年寄りの姿に「みなさんはもう十分生きたでしょ」とさえ思え、心に壁を作ったこともあった。
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「社会に何も役立てない自分が、生きていく意味があるのだろうか」。そんなことを考えていた昨年7月。相模原市の障害者施設で入所者19人が殺害される事件が起きた。逮捕された元職員はこう供述したという。
「障害者なんていなくなればいい」「周りを不幸にする」
元職員は孤立感を深め、自分よりさらに弱いものをたたこうとしたのではないか。人の生きる価値を有用性で測ったという点では、自分も元職員と同じではないか。そう気づいて、ぞっとした。
いまの世界の動きを表すキーワードは「分断」だ。とりわけ、主役の一人といえるトランプ米大統領からは目が離せなかった。朝日新聞ニューヨーク支局の金成隆一記者が書いた「ルポ トランプ王国」(岩波新書)には、将来への不安から氏を支持する人々の姿が描かれ、地元新聞紙編集長のこんな米国社会の分析が紹介されていた。
「最近はますます自分の好きな情報だけを選んで見られるようになった。自分と同じ考えを持っている人としか話さなくなって、不満を持つ人同士がどんどんつながる」。ソーシャルメディアの影響で、自分が望まない情報からは、目を背けるということなのだろう。
自分にも思い当たる節があった。家にこもりがちな暮らしで、外部と接する窓のひとつがフェイスブック(FB)だ。
あるとき、気晴らしに、一人の著名人をFBでフォローした。途端に、政治に関する書き込みがあふれ出した。彼が「いいね!」をしたからだ。偏見を感じたり、言葉づかいが気になったりするものもある。しばらく様子を見てフォローを外した。世間をまるごと受け止めたいならば、そうした意見からも目を背けるべきではないのだろう。しかし、その余裕はなく、自ら社会への窓をあえて狭めた。
読みたいものだけを読む、見たくないものは見ない。自分も同じだ。人は弱いときほど、世界を自分に都合よい方向に広げたり、狭めたりするのだろう。
かつて朝日新聞で天声人語を担当した故・深代惇郎氏は「存在するものには理由がある。それを分かったうえで批判しないと、本当の批判にならない」と同僚に語ったという。
同感だ。記事にせよ、個人的な会話にせよ、同じ考え方の者同士でそれを内々に確かめあっても、外側との溝は縮まらない。なのに自分はつらいからと、一歩目を踏み出さずに社会への窓を狭めてしまっていた。
「弱いほう」の視点という発想。それがそもそも思い上がりだったのかもしれない。病気になったから表に出てきただけで、不安を抱える各地の人たちと同じ弱さは、どちらかといえば「強いほう」にくくられると思っていた自分の中にもともとあったのだと思う。
何度目かの入院をしたとき、慶大経済学部教授の井手英策氏が昨年出した「18歳からの格差論」を読んだ。私と同年生まれの井手氏は、「5年前」に生死の境をさまよった、と明かす。
もし、もう一度倒れたら3人の幼い子どもたちはどうなるか。「この社会は、きっと、僕の家族が人間らしく安心して生きていくための十分な手助けをしてくれない」として、格差を作り出した人間の心の動きや歴史的背景を解き明かし、それを是正するための具体論を展開していく。
3月の民進党大会での氏の講演は、動画投稿サイトのユーチューブでみることができる。体験に裏付けられた言葉は力強く、会場から拍手がわいた。
「弱さ」は場合によって、これまでになかった視点へと目を開かせ、生かし方によって大きな力にもなる。そんなことに気づかされる春である。
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野上祐(のがみ・ゆう) 1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた昨年1月、がんの疑いを指摘され、手術。現在は抗がん剤治療を受けるなど、闘病中。
(出所:朝日新聞デジタル(AERA.dotに転載)連載「がんと闘う記者」、2017年4月30日掲載)
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