がんと闘う記者、「うんこ漢字ドリル」に思う
小学生向けの「うんこ漢字ドリル」(文響社)が売れているそうだ。福島のときの仲間が朝日新聞社のニュースサイト「withnews」に書いていた。
実は、私にとって「うんこ」はトイレで流して「はい終わり」という他人行儀な関係ではない。
がんの関係でここしばらく、へその横に取りつけた人工肛門(こうもん)から出しているため、毎日それなりの時間をかけてつきあっている身近な存在なのだ。そんなこともあり、ある日の昼間、本屋に出かけ、小学5年生と6年生のドリルを買ってきた。
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ドリルは3018の例文すべてに「うんこ」を使っているのが売りである。
まずは政治記事によく出てくる漢字を探す。権力、権利などの「権」は6年生の漢字だ。隣には政策の「策」が、次のページには憲法の「憲」があった。
21年前に新聞記者になったとき、記事は中学生でも読めるように書け、と教わった。読者のみなさんが、ある程度の漢字を知っていることが前提だ。なるほど、「衆」「党」「派」を6年生で立て続けに習うわけだ。
ましてや18歳選挙権の時代。入り口が何にせよ、若いうちから政治の言葉になじむ必要性は増している。
例文はどれも考えさせられる。
「権力者にうんこを独りじめされないようにしよう」
「きみには自分のうんこを流す権利がある」
「日本国憲法に、『うんこの自由』のこう目はありますか?」
がんになったあと、政治や権力に関しては以前とまったく違うところが目についたり、ふつうなら聞き流すようなことに引っかかったりするようになった。排泄(はいせつ)物と政治を結びつけてしまうのもそのせいだろう。
うんこをほかの言葉に置き換えたらどうか。権力者に「独りじめ」されてはならないものとは何か……。
権力といえば、米国の政治学者ダールの定義がある。「働きかけなければ、しないだろうことを、相手にさせることができたとき、相手に対して権力を持つ」
うんこにたとえれば、自分のものに触れてしまうのは平気だとしても、ほかの人から言われ、他人のそれに強制的に触れさせられたとしたら、権力を行使されたことになる。権力は慎重に扱うべきだと改めて思う。
夜になり、しびれる指で原稿を書き出した。すでに家族は寝静まり、痛みも多少やわらいだようだ。初稿を書き終えるころ、郵便受けで朝刊がコトリと音をたてた。
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この話には後日談がある。約1カ月後、じきに終わるはずだったうんことの濃密な関係が、ずっと続くことが決まった。
人工肛門をふさぐめどが立たなくなったため、いよいよ障害者手帳をもらうことになり、ソーシャルワーカーの女性から説明を受けた。「手帳をもらうのはちょっと……という方もいるのですが」と言われ、「とくに抵抗感はありません」と答えた。手帳に伴う公共料金の割引などをまとめた冊子はわりと厚かった。
隣で話を聞いていた配偶者の顔は少しこわばってみえた。手帳について「ちょっと……」と思ったらしかった。「そう? そんな経験をするのもいいかなと思うけど」と言ったら、はじめて笑顔をみせた。
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野上祐(のがみ・ゆう) 1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた昨年1月、がんの疑いを指摘され、手術。現在は抗がん剤治療を受けるなど、闘病中。
(出所:朝日新聞デジタル(AERA.dotに転載)連載「がんと闘う記者」、2017年6月25日掲載)
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