ハイテンションだった稲田氏 闘病の記者が考える「空」

その言葉は哲学者のおじから贈られ、自分の中心にあり続けると、12年前の郵政選挙で初当選した彼女は本に記している。辞任の心境を尋ねる記者団にもみくちゃにされながら、その言葉「空(くう)」を残し、稲田朋美防衛相防衛省の建物を出ていった。

 そのとき彼女がにやにや笑っていたと、その場にいた一人の目には映ったという。また、辞意表明後のあいさつ回りでは、「どうもー!」とハイテンションだったとか、「立場がわかってないんじゃないの?」という声があったらしいとも聞いた。

 夜のニュースで、防衛省を出る彼女が本当に笑顔か確かめた。白い歯がこぼれている。私にはこう見えた。

 この笑顔は、自分の心を守るためのものではないのか――。

 不祥事や問題発言で追い込まれた政治家が笑顔を浮かべる。そんな場面を何度も見てきた。場違い、無反省。なぜ、こんな顔をするのかと不思議だった。

 稲田氏の顔でなぞが解けたような気がした。確かに彼ら、彼女らが反省していないことが大きいのかもしれない。だがそれだけでなく、何も起きていないかのように笑わなければ、招いた現実に心を折られ、その場に踏みとどまることすらできなかったのではないのか、と。

 そんなふうにひとり合点することは、病気にならなければなかっただろう。

その笑顔はたぶん、私自身にもあるものだ。病状に照らして、それが周囲に不釣り合いに見える場合もあることは承知している。だが、ともすれば死のふちをのぞきこもうとする心を笑顔で引き戻さなくては、病状や治療に冷静に立ち向かえる範囲に心をとどめ置けないのだ。

 政治家には命が二つある。一つは生物としてのもの、もう一つが政治的なものだ。

 2005年の郵政選挙では稲田氏ら80人を超える新人議員が生まれた。料理研究家、学者、医師。入り込みにくい永田町にさまざまな分野から人が集まり、やがて去っていった。閣僚や党幹部といったキャリアを稲田氏のように積み重ねることもないままに。

 今回、彼女が辞任に追い込まれた事情に同情する余地はない。だが、めざす理想があるならば、ひとつだけ言いたい。

 有権者の信頼を取り戻し、政治生命をつなぎとめて何かをなすためには、本人にとってはいかにつらくても、ここは笑顔の仮面を外し、これまで取り繕ってきたことへの反省を示すことだ。そして、もっとつらい立場に追いやられた人々の生活を少しでもましにするよう頑張ることだ。それが政治の本質ではないか。

 2週間前に開かれた国会の閉会中審査は欠席だった。仮面を外す好機を逃したように思えてならない。

 「空」とは「何物にもとらわれず自由な魂で本質を見ること」と本にある。

 今回、防衛相というキャリアを失い、首相候補とまで言われた名声が失われたことは、逆に、より多くの市井の人とつながるチャンスだ。お盆の時期は、地元で人々に頭を下げる絶好の時期でもあったはずだ。

身を捨てて、いや、笑顔を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ。

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 野上祐(のがみ・ゆう) 1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた昨年1月、がんの疑いを指摘され、手術。現在は抗がん剤治療を受けるなど、闘病中。(野上祐)

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 9月からは朝日新聞出版のサイト「AERA.dot(アエラドット)」(https://dot.asahi.com/)に場所を移し、「書かずに死ねるか――『難治がん』と闘う記者」のタイトルで連載を始めます。原則毎週土曜日更新、初回は9月2日の予定です。

(出所:朝日新聞デジタル(AERA.dotに転載)連載「がんと闘う記者」、2017年7月30日掲載)

記者に囲まれながら、防衛省を後にする稲田朋美氏=7月28日午後1時34分、東京都新宿区、金川雄策撮影

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