「もう食事はとれない」そう告げられた難治がんの記者の支え「カレーは裏切らない」

うまくいかなかった2度の手術。「もう完全に治ることはない」と医師は言った。「1年後の生存率1割」を覚悟して始まったがん患者の暮らしは3年目。46歳の今、思うことは……。2016年にがんの疑いを指摘された朝日新聞の野上祐記者の連載「書かずに死ねるか」。今回は「もう食事はとれない」と伝えられたことについて。

【閉店の8日前に入れた思い出のラーメン店の一杯】

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「今後、水分以外の食事をとるのは難しいでしょう」

 今月6日、病院内の小部屋で医師から告げられた。

 動脈瘤(りゅう)ができた影響などで、腸が狭くなり、食べたものが通りにくいところが何カ所かある。腸閉塞(へいそく)を起こさないためには、いずれ退院しても、栄養は点滴で取るしかない、という説明だった。

「食」について私がもともと心配していたのは、体調悪化で抗がん剤を切り替えることになり、副作用の味覚障害が生じることだった。ところが、これで「おいしく食べられなくなる」段階をスキップし、一気に食べられないことになった。

 生まれてからほぼ毎日続けてきた「1日3度の食事」ができなくなる。それは誰にとっても暮らしを左右する一大変化のはずだ。

 ところが第三者として自分の心を見つめても、驚くほど衝撃がない。6日の説明中に医師が「口からのほうが栄養がとれるし、食べられないのはつらいだろう」と言い出したときは、食べ物もゼロにはならないのか、と一瞬思ったが、そうでないとわかっても、がっかりする気持ちはわいてこなかった。

 医師の話に先立ち、看護師から「お食事をとりたいですよね」と問われた。健康体ならそうだろうが、私は違う。「食事をとれる体になればいいと思いますけど、今の体でとりたいとは思いません」と正直に答えた。

 それらはすべて、遅かれ早かれこの日が来ることをどこかで覚悟していたからだろう。別の原因ながら「もう普通の食事はできない可能性がある」と初めて医師に言われたのは昨年の夏。それから1年4カ月間、コラムで書いたように、悔いのない食生活を心がけてきた。おかげでこの期に及んで「あれを食べ損ねた」というものがないのは幸いだ。

「見るべきほどのことは見つ」、人が一生に見るようなものはもう見てしまった。『平家物語』の壇ノ浦の合戦で敗軍・平家の将は言う。今の私も「食うべきほどのものは食いぬ」という気分だ。

最近で言うと、前回の退院後、再び体調が悪化して入院するまでは44時間しかなかった。だが偶然にもその間に、夫婦で通ったラーメン屋に、閉店8日前に滑り込み、東京で味わえる「福島の味」を食べ納めることができた。

 最後の食事となったのはすしだ。ふと思い立ち、おそらく初めて、店で出てくるネタを一字一句たがわずメモした。よもや「最後」とは思わないまでも、そう何度も足を運ばないだろうと感じて、無意識にそうしたとみえる。

 今は食べたいものがないからいい。今後、それが出てきたらどうするか――しばし思いめぐらせた。

 外出できるならば、配偶者と一緒に飲食店に行けばいい。合計2人分の勘定になるように注文して店の視線を和らげ、自分はソース、汁のたぐいにちょっとだけ口をつける。あとは少しでも彼女の気晴らしになることを願いつつ、飲み物とおしゃべりで時間をつなぎ、相手が食べ終わるのをゆったり待つ。

自分が出かけられなければ、彼女に「お使い」を頼むとする。店に話して首尾良くソース、汁などを持ち帰られればよし、もし断られたら、そのてんまつを耳で味わうことにする。思い出がある店ならば、久しぶりの様子を聞くのもやはり「ごちそう」だ。

 もちろん、自宅での手づくりならばいくらでも融通がきく。ジューサーも活用し、ふたりして「珠玉のひとさじ」を調理するとしよう。

 我が家、というか私と彼女の間には、こんな「格言」がある。

「カレーは裏切らない」

 結婚して間もないころ、彼女から食事のリクエストを聞かれて、私がいった言葉だ。外食でメニューに迷った時も、カレーにしておけば間違いない。前回退院した9月21日も、夕食にさっそく食べたのは彼女のカレー。「肉はゴロゴロ入れて」「野菜は形がなくなるまで煮込んで」とこれまで何回、頼んできたことか。今後はゴロゴロした肉の形が残っていては無理でも、よく煮込まれた材料のエキスを含んだルーをこせば口にできる。

 今の私は、昔のようには働けない。それと同様に食事もできなくなるのだと言われれば、確かにその通りだ。食にまつわる喜びや楽しみのうち、体を動かしてすいたおなかを満たす快楽は、点滴で栄養をとり続け、空白感を覚えない身には望むべくもない。

 しかし、私が今、昔通りでなくてもものを書いているように、食の楽しみが今後、まるっきりゼロになるわけではない。液体にぎゅっと凝縮された味。テーブルを囲んだ思い出――。

 心の底から「食」を求めたとき、さらっとしたルーは、期待を裏切らず、渇きを癒やしてくれることだろう。

(出所:AERA.dot連載「書かずに死ねるか―『難治がん』と闘う記者」、2018年11月10日掲載)

閉店の8日前に入れたラーメン店の一杯。福島県の「白河ラーメン」を味わえる貴重な店で、夫婦でよく行った

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