後輩との「答え合わせ」 難治がんの記者にとってのお見舞いとは?

うまくいかなかった2度の手術。「もう完全に治ることはない」と医師は言った。「1年後の生存率1割」を覚悟して始まったがん患者の暮らしは3年目。46歳の今、思うことは……。2016年にがんの疑いを指摘された朝日新聞の野上祐記者の連載「書かずに死ねるか」。今回はお見舞いについて。

【お見舞いに来てくれた福島総局時代の新婚の後輩が…】

*  *  *
 視力がすっかり落ちた。もともとの近視、老眼に加えて、入院後、鼻先のスマートフォンを眺めて過ごす時間が長くなったせいか、視界がいっそうぼやけた。

 先日、看護師に付き添われて洗髪を済ませ、廊下を歩いて行くと、20メートルほど向こうの病室の前で、スーツ姿の男性が待っていた。さて、誰もお見舞いに来る予定はない。だが胸のあたりで小さく手を振ってきたのを見ると、知り合いらしい。相手が目上だった場合に備えて、まずは同じぐらいに振り返し、さらに会釈した。

 2メートルほどまで近づいたところで、ある先輩記者だとわかった。

13回目となる今回の入院では、なぜかこの「事前連絡がない」パターンが多い。

「最近は『ドタキャン』じゃなくて『ドタ現れ』『ドタ見舞い』みたいなものがはやってるんですかね?」と問うた。

「あれ、連絡したほうがよかった?」という反応から想像するに、事前に知らせずに「会えたら会う」ほうが私の負担が小さいと考えたらしかった。

 その辺は患者によって違うだろう。

 私は人が訪ねてくるとあらかじめわかっているほうがありがたい。

 時間が無限でない以上、その時を大切にしたい。顔を見るだけでもうれしいが、来るのを知っていれば心の準備ができる。何を話すか、尋ねるか、どの思い出を持ち出すか。あらかじめ思いめぐらせるのも楽しい。

 ひところ、文章を書いたり人前で話したりする時に、なぜ病気になる前よりもよどみなく自分の考えを表せるのか、と考えたことがあった。要するに、ふだんから見舞客に説明し、質問に答えているから頭が整理されているのだと気づいた。

 そんな堅苦しい話は抜きにしても、お見舞いは気晴らしになる。先月28日に現れた他社のがん経験者のお二人は、私の具合が悪そうなのを見て「僕たち同士で勝手にしゃべってますから」と言った。永田町を取材した者にとって、あいも変わらぬメンツが滑った転んだを繰り返すさまには、ご近所のうわさ話を聞くような趣がある。気づくと私も、野党再編をめぐる政局話にひたっていた。

いつもではないのが救いだが、病室が極めて騒がしい時がある。

 病院でこんなひどい目に遭った、と同じ不満を一時(いちどき)に何度も大声で繰り返す患者。それに対し、看護師や医師がさらに大声で返しているように感じる場合もある。叫び声はむろんのこと、意味を持った言葉を完全に無視することはできない。よせばいいのに「何度、同じ話を繰り返すのか」「うるさい」といちいち反応し、ぐったりしてしまう。

 そんなとき、おしゃべりできる見舞客がいると本当に助かる。自分に向けてものが語られ、言葉を返す。そのうち、最初は「うるさいね」と指さしていた声が気にならなくなる。

 お見舞いでとりわけうれしいのは、後輩が訪ねてくることだ。

 以前入院したときは、政治部時代に総理番として指導した「1年生」4人がそろって見舞ってくれた。

 つい先日も、「野上さん、後輩とおっしゃる方がお見舞いにお見えですけども」と職員に案内されてきたのは、福島総局で次長(デスク)をしていた時の総局員、佐藤啓介記者(現・文化くらし報道部)だった。背中から女性が現れて、頭をちょこんと下げた。新婚の彩乃さんだ。

 彼について悪い評判は聞かない。あれこれと話した後の別れ際、「あの……」と彼は言った。「今撮った写真、コラムとかで使ってもらって全然かまわないですから」

写真は文章に合わせて選ぶものだ。なのに、この写真に合わせて書けとは、君も偉くなったな――。如才ない対応に、つい心の中で突っ込んだ。

 後輩といえば、お見舞いにきた元総理番と元総局員から「白目が怖かった」と言われたことがある。

 私が机に向かって着席している。斜め後ろから後輩に呼びかけられ、ゆっくりと振り返る。そんな時、しかられそうな事情を抱えた相手には、「白目」に見えたらしい。

 後輩については「嫌われる必要はない。しかし、嫌われないことを目標にしてはいけない」と心がけてきた。

 お見舞いには、その「答え合わせ」のようなところがある。

 久しぶりに顔を合わせる。「あのころ、こんな大変なことがあった」と思い出を一緒に振り返り、「今こんな課題を抱えている」という相手の話に耳を傾ける。変わっていないな、という懐かしさを覚えるいっぽう、当時と今で、相手が「苦労」と感じるレベルが上がっていることに気づく。

「白目」にも多少の意味があったのかもしれない。そう感じるのは、こんな時である。

(出所:AERA.dot連載「書かずに死ねるか―『難治がん』と闘う記者」、2018年11月3日掲載)

お見舞いに来てくれた福島総局時代の後輩、佐藤啓介記者(中央)と新婚の彩乃さん(左)。28日、東京都内の病院

Follow me!