難治がんの記者が荒唐無稽な「物語」で問いかける社会の本気度
うまくいかなかった2度の手術。「もう完全に治ることはない」と医師は言った。「1年後の生存率1割」を覚悟して始まったがん患者の暮らしは3年目。46歳の今、思うことは……。2016年にがんの疑いを指摘された朝日新聞の野上祐記者の連載「書かずに死ねるか」。21日に退院し、丸2日間もおかずに、今年3度目の救急車となった。今回は「二度あることは三度ある」と感じた入院と、安倍晋三首相が3選を決める自民党総裁選の3カ月前にヒントを思いついた、荒唐無稽な「物語」について。
* * *
「今日はほんとうに金曜日だろうか」
201X年1月のある夜。東京・永田町の国会記者会館を出た新聞記者の「風間」はあたりを見回した。道を挟んだ首相官邸に向けて批判の声を浴びせる人が、ふだんの金曜日よりもぐっと少ない気がしたからだ。
官邸前も含む国会周辺は、政権を批判する各地のデモの象徴で、盛り上がりのバロメーターともされる。
官邸内から様子をうかがっていた首相の「林田」は官房長官に向かい、「ちょっと遅れて、内閣支持率も上がってくるね」と笑顔を見せた。
翌週も、翌々週も「沈黙の金曜」は続いた。しかし、思うように支持率は上がってこない。2カ月もたつと、官邸前は何もなかったように、元のようなにぎわいをみせはじめた。
逆の視点で見ていた政治家がいる。野党トップ「火浦」だ。「動かざること山のごとし」が口ぐせの彼は手を打たなくても原状回復したことに胸をなでおろした。
すでに忘れられかけていた「沈黙の金曜」が永田町で久しぶりに話題になったのは翌年3月。首相の党の党大会で、党員数の増加が発表された時だ。
想像できないような増え方に会場はざわついた。「うちのほうでも、若い連中が『党員になるのはここでいいんですか?』って金を持ってきたそうだ」「そういや、おれのほうでも……」
ところが、それで期待された数カ月後の国政選挙の議席は、さほど伸びなかった。「若い人は投票せずに遊びにいったのかな。あてにならないね」というぼやきが官邸から聞こえてきた。
とはいえ勝ちは勝ち、だ。
首相「林田」とすれば、事実上の首相選びである党代表選に圧勝して残り任期を確保し、悲願を実現したい。そのためにもライバル候補との一騎打ちで圧勝することが大切で、勝利そのものを危ぶむ声は陣営から聞こえてこなかった。
それなのに――。
あっという間の転落劇だった。
地元議員の動きを参考にして投票先を決めるとみられていた地方票が、ライバルへ一斉に流れたのだ。予想とは裏腹に、現職支持を表明していた議員のほうがこうした動きを水面下でつかみ、相手方に走った。
そうして誕生した「新首相」の持論は「有権者と握手した数しか、票は出ない」だ。「後援会や党の集まりに出席していた人数を合わせてもこんな票数にはならない」と首をかしげた。
逆転劇に、さらに頭を抱えたのが報道陣だ。
本人すら知らない「真相」をつかみ、締め切りや番組に間に合わせなくてはいけない。新聞記者の「風間」はとりあえずスマートフォンでツイッター画面を立ち上げた。
驚いたことに、そこには「真相」らしき情報の一群が広がっていた。裏を取らなくてはと、ツイートを見続けていると、発信源らしいアカウントがいくつか見つかった。
連絡を取り合い、待ち合わせ場所へ。「風間さんですか」という声に振り返ると、3人の女性が立っていた。1時間後には原稿を書き始めないと、締め切りに間に合わない。急ぎ足で聞き取った「真相」の概要は次のようなものだ。
場面は201X年1月。つまり「沈黙の金曜日」が官邸前に出現する1週間前になる。
官邸前のデモで意気投合した女性5人は、繁華街の居酒屋に流れ、「林田」批判を繰り広げていた。
1人が先日あった与党の代表選のことを話しはじめた。「ここで選ばれる人が結局総理大臣になるんですよね。私たちは1票を入れられないのに、どうしたらいいと思います?」
ジョッキを手にしたもう1人は話を合わせた。「総理を選ぶ選挙に参加しようという党員募集のポスターを見たことがあるけど」
また別の1人はテーブルのお皿を何枚か重ねて、自分のタブレットを差し出した。党のサイトにはこうあった。
「日本国籍であること」「前年まで2年連続で年3千5百円の党費を納めていること」。読み上げた女性は付け加えた。「合計7千円って……思ったよりも簡単じゃない?」
4人が一言ずつしゃべっていくうちに、テーブルには熱気が満ちていた。まだしゃべっていなかった1人は周りが見つめるなか、迷いない口調で「やるべし!」と言った。
作戦名はそのまま「林田総理以外に投票するために、アルバイトして党員になろう」作戦。基本方針ははやばやと決まった。
●同じ場所でデモを続ける意味は大きい。作戦中も定期的に続ける。
●政権に動きを察知されないよう、できるだけ短期間で切り上げる。
●身内から漏れないよう、アルバイトはこれまでデモで家をあけてきた時間帯に重ねる
聞きながら「風間」は思い出した。そういえばあの晩も、声を上げている人たちはいた。みんなを代表しなきゃと大声を出していたんだ。
5人の作戦で大切なのは賛同者を増やすことだ。自分のぶんを稼ぎ終えてからが、ちょっとした冒険譚だった、という。
「風間」は予定通り小1時間で取材を打ち切った。「やるべし」と言った女性が見送ってくれた。「今日はほかの2人はお仕事でお忙しかったのですか」という何げない問いに返ってきたのは、意外な答えだった。「いえ、2人ともやめたんです」
1人は、党の集会や選挙活動への誘いを断るのが気まずくなり、時々は顔を出すようになった。党の主張に触れ、熱心な関係者と顔見知りになり、例の居酒屋で打ち明けたそうだ。
「野党のほうがだらしなく見えてきた。代表選でも今の総理に投票しようと思っているのに、みんなや自分の気持ちを裏切れない」
もう1人は「しょせん他人頼みの博打」と言い残し、離れていったという。
たとえば、誰かが代表選に出ようとしても、推薦人を集められなければ立候補できない。候補者1人ならば首相選びに関われない。「支持していない政党を金銭的に支えることは我慢するとしましょう。ただ、首相に正義を求めているのに、私たちがやっているのは正義なのか。小学生の娘と話していて、ふとそんなことを思ってしまったんです」
風間のもとに後日、「実は私も代表選には白紙で投票しました」というメールが届いた。「やるべし」からだった。
「だめ押しのひと言をいった責任で、私はやめられませんでした。ただ、今の人が総理をつづけることと、私が投票することのどちらが正義に反するかとか、色々考えてわからなくなってしまったんです」
◇
以上の「作り話」のアイデアを思いついたのは3カ月前だ。書いたからといって、自民党総裁選の行方に影響を与えることはないだろう。だとしてもその前はさすがに不謹慎だと思い、国会議員がいる政党のどこかで実現可能性があるのか調べることも含め、一切の作業をやめてしまった。
それでも結局書いたのは、ある政治目標を本気で実現するには、より発想をふくらませなくてはいけないのではと、荒唐無稽な例で問いかけてみたかったからだ。こうした「偽装党員」は許されないと私は考えている。
私は都内の病院を21日に退院し、44時間後の23日に再入院した。病状はともかく「原稿は毎回、最終回のつもりで」
それはそれでへそ曲がりな私らしい気もする。 (出所:AERA.dot連載「書かずに死ねるか―『難治がん』と闘う記者」、2018年9月29日掲載)
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