難治がん患者として生きる自分を導く、言葉の「ニンジン」とは
うまくいかなかった2度の手術。「もう完全に治ることはない」と医師は言った。「1年後の生存率1割」を覚悟して始まったがん患者の暮らしは3年目。46歳の今、思うことは……。2016年にがんの疑いを指摘された朝日新聞の野上祐記者の連載「書かずに死ねるか」。今回は、めぐる季節に思う、変化していくことの意味について。
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秋風が吹いた。
自分にとって最後かもしれない夏が終わったのか。
あるいは、味わえなかったかもしれない秋を迎えられたのか。
つまり、さみしさと喜び、どちらに身を委ねればいいのか。
季節の変わり目は私を戸惑わせる。
台風が近づき、去ったと思った夏がよみがえった8月23日。久しぶりに、食べたものを洗いざらい吐いた。自宅の最寄り駅の駅ビルで、常に手元に用意してあるスーパーの袋に頭を突っ込み、胃が裏返るほどに吐き切った。落ち着いたのもつかの間。新たな波が押し寄せ、多機能トイレで便器を抱えた。
駅前から自宅まで、初めてタクシーに乗った。料金は身体障害者手帳の1割引きで360円。それだけの距離が遠かった。車を降りると、座席を汚さないように握りしめていた2袋目がカサカサと風に鳴った。
想像するに、昼時をかなり回って食べた揚げ物が犯人だろう。「油が悪い」。店を出たところで配偶者と見つめあった。疲れ切った体に、それがだめ押しになった。
体調は戻るのか、さらに悪くなるのか。ぼんやりとしていた夜半、「これで毒が出たのだ」と急に感じた。ふっと浮かんだ考えは体の実感から来ていることが多い。予想通り、体調は回復へとかじを切った。
日々を生き抜くための理屈も、こうした実感と混然一体となって生まれたり、消えたりする。
先日も、自分では忘れていた発言を知り合いから指摘され、久しぶりに思い出す経験をした。昨年11月に出演したインターネットTV「AbemaTV」の番組で述べたことだ。おそらく当時、知り合いが見舞いに来るたびに話し、自らに言い聞かせていた理屈なのだろう。
「1日いちにちをできるだけ充実させていけば、例えば一生の幸せが100分の60くらいだったものが、生きる日数が短くなったとしても、1日あたりの幸せを10分の8とか10分の9くらいにできるのではないか。死を意識するからこそ、自分の心の奥を掘り下げて、考えたり書いたりできる。最大限満足した1日を終えることを重ねていきたい」
100分の60は10分の6だ。分母をそろえれば、1日あたりの幸せは長生きするよりも大きくなる、という理屈だ。長く生きれば幸せだけでなく、つらさや苦しみも積み重なっていく。「長生き=幸せ」とは限らないと感じている人が多いのか、何人かの知り合いから「なるほどと思った」といった感想が寄せられた。
では、どうすれば幸せは増すのか。具体的に考えたことはなかった。しかし、毎週、自分の名前でコラムを書き、引用するのは気恥ずかしいようなコメントがSNSを通じて寄せられる。知り合いに目を転じれば、周りを犠牲にして「10分の6」程度の幸せを守るのにきゅうきゅうとしている人もいるように見えて、我が身の幸せを実感した。
分数は10分の1、2、3……といった具合に、目盛りを意識しやすい数字だ。おかげで、外食のメニュー選びといったささいなことまで、「幸せ」の積み増しに貢献するようになる。近づく死を意識しようと心がけつつも、無自覚に過ごしていた時間。それを味わい尽くそうとするのに役立った。
それだけの功労者のことを、知り合いに指摘されるまで忘れていたのは、解せない。記憶をたどると、テレビ出演後としかわからない時期のある情景が思い浮かぶ。
一つは、病院で抗がん剤の点滴後、先輩記者と雑談に興じた帰り道だ。自宅に向かうタクシーが首都高速の東京・上野に差しかかったあたりで、後ろに流れていく風景を眺めながら、ふと「幸せだな」という思いがこみ上げてきた。思いはふだん以上に強く、なぜか涙がにじんだ。
そのころ、寝入る前に「このまま死んだら、自分は幸せな一生だったことになる」と思うのが半ば習慣になっていた。過去の受験、就職、結婚。何をとっても、希望がかなわなかったことがない。そこに今日また幸せな1日を積み重ねた。ここで終われば、幸せな一生ではないか。
だがある日、こんな反論が胸の内から聞こえてきた。
「もし本当に幸せだと感じているのなら、長く続けと考えるのが自然ではないか。それなのに『もう終わっても構わない』と思いながら生きていくのは、あまりいい人生ではないな」
もう一生が幕を閉じても構わないというのは、残りの人生でこれだけはやり遂げたい、という目標がないことの裏返しだ。確かにそれはさみしいことに思えた。
そのうちに「1日あたりの幸せを10分の8、9にする」との理屈は、つきものが落ちたように消えてしまったというわけだ。
思えば私は、その時その時の状況をよく生きるための「小道具」になる理屈をその都度、こしらえてきた。自分の鼻先にぶら下げて導く、ニンジンのようなものだ。「10分の8、9」もそうだし、がんの疑いを指摘された当初の「常に最悪の事態を想定しておく」もそうだ。おかげで、がんの中でも難しい膵臓(すいぞう)がんと言われても落ち着いて治療に向かえた。「泰然自若としている」と手術の執刀医から太鼓判を押されたほどだ。
だがこれも、「最悪の事態」を想定して準備を進めていないことに最近気づいた。小道具をしまうのが少々、早すぎた。
どれも、いつでも誰にでも通用する「絶対的な真実」などではない。過去の連載分を読んでいただくとき、当時の状況説明や、公開日が欠かせないのは、このためだ。
正直なところ、状況が変われば、それをよく生きるために、これまでとまるっきり逆の理屈を用意することもいとわない。
「最悪の事態は想定しておかないほうがいい」
「幸せは1日あたりではなく、一生の総量こそ大切だ」
なぜならば……といった具合に。
7月に立ったスタンダップ・コメディーの舞台。がんの「おかげ」でできたことをお客さんに語りかけたのは、前回のコラムで書いた通りだ。前向き「過ぎる」とらえ方には「事態を正しく認識できない状態」との学術的な見方もあることにも舞台では短く触れた。
だが、現在進行形の患者である私にとっては、心理学的に「正常」かどうかはさほど意味がないのだ。大切なのは、その時その時、前を向いて過ごすためにはどんな理屈がいいのか、ということだ。それはおそらく、読まれる方にも状況によって役立つように思う。
みなさんにコラムを読んでいただくことが私の力になる。「肩を貸してください」と始めた連載も、9月で2年目に入る。抗がん剤の副作用が前ほどではなくても、相変わらずスマートフォン頼みの執筆は楽ではない。
がんを患う新聞記者として、連載では、私の病気と地続きのことを書いてきた。肩を貸してくださったみなさんへの恩返しに、さらに刃物を強く自らにあてがい、削り出したいと、めぐる季節に願う。 (出所:AERA.dot連載「書かずに死ねるか―『難治がん』と闘う記者」、2018年8月25日掲載)
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