「難治がんに思い知らせてやる」 ウーマン・村本の誘いで記者が“コメディー”に初挑戦 はじまりは2年前…

うまくいかなかった2度の手術。「もう完全に治ることはない」と医師は言った。「1年後の生存率1割」を覚悟して始まったがん患者の暮らしは3年目。46歳の今、思うことは……。2016年にがんの疑いを指摘された朝日新聞の野上祐記者の連載「書かずに死ねるか」。今回は、ウーマンラッシュアワー村本大輔さんに誘われて挑んだ初舞台の様子をお伝えする。

【村本大輔さんも一緒に立った舞台写真はこちら】

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 いや、たしかにそれはそうなんだけど――。

 舞台の私は、いきなり「ピンチ」に立たされていた。

「お医者さんから私がひとつだけ禁じられていることは何だと思いますか」というのが私の客席への質問だ。

 正解は「出張」。ところが、私と目が合った最前列の女性は「無理?」と語尾を上げて返してきた。

スタンダップ・コメディーの舞台なのに、ただ正解を言ってもしらけかねない。その点、「無理」は当たり前すぎて面白い。

「たしかに無理はしちゃいけないですね。うん、無理はいけない」。繰り返すうちに、面白さが客席に伝わったらしい。100人ほどのお客さんの間から、フフフッと笑う声が聞こえた。ほっとした。

 7月19日、都内のライブハウス。お笑い芸人の村本大輔さんはじめ「マイノリティの一面」がある9人が代わる代わる舞台に上がっては10分ずつ本音をしゃべるライブだ。5番手である私は、がんの中でも治しにくい「難治がん」患者の役回り。「マイノリティと言われる部分は特別で面白くて最高と思わせる」「羨ましがらせたらより最高」。求められていることはなかなかハードだ。

「出張禁止なのは、倒れた時に見つけてもらえないと困るからだとお医者さんからは言われています。ただ、社内で倒れても、私のことを嫌いな人だったら、見つけても通り過ぎるかもしれない」

 冗談だと受けとめた客席に笑いが広がった。

 実はここで手もとのスケッチブックを使うかどうか、迷っていた。倒れた自分に見立てて踏んづけ、足跡をつけるかどうか。が、お客さんはきちんと聞き、笑ってくれている。悪ふざけはやめた。

「新聞記者の仕事は、どこかに行って人から話を聞いたり、ものを見たりして、文章を書くことです」

 たとえば自分はかつて北朝鮮と国境を接した中国の都市を訪れた。また「行く」ことはもうできない。でも――と、本題に入った。

「病気のおかげで、新しく見えたことがある」

 たとえば4月の緊急入院では国と国ではなく、生と死の境目を見た。

「これまで見てきたものでも、新しい見え方ができるようになった」

 お医者さんが治療法や検査法について患者さんに説明するインフォームド・コンセントの考え方を政党も選挙戦に採り入れてはと思いつき、コラムを書いた。

「人に会いに行けず、出張できなくても『書こう』と思えば、現場はやってくる。現場はすでにそこにある」

たとえ行かなくても、だ。思わず言葉に力が入った。

「がんの『せいで』できなくなったこともたくさんある。がんの『おかげで』できるようになったこと、書けた文章もたくさんある」

 そもそもなぜ私はこの舞台に立っているのか。

 誰かに勧められたわけではないのに、インフォームド・コンセントのコラムを書いたのが2年前。これが復帰1本目となり、書き続けていたら、連載することになった。昨年11月には村本さんのAbema TVの番組によばれた。そして6月上旬。村本さんからメッセージが届く。

「スタンダップ・コメディーをやりませんか」

 病気との付き合いはもう2年半。こう思うようになった、と客席に語りかけた。会社の知り合いの姿も見える。

「私に目をつけたバカな病気に思い知らせてやろう。『苦しめるつもりだったのに、いい人生を送らせてしまったじゃないか』と人間ならば後悔するぐらい、使い倒してやろう」

「おかげで」と言いながら「思い知らせてやる」というのだから、考えてみればひどい話だが。

スタンダップ・コメディーとは何か、実はいまだにわからない。だが話し相手が気まずくならないよう、病気のことを冗談交じりに話すことならば、お見舞いで慣れている。

客席からたびたび笑い声が上がった。用意してきたスケッチブックも、思わぬ助っ人になった。

 この日、舞台に上がった時点では、しんみりと話に入るつもりだった。膵臓がんの生存率は低く、日々、下がってゆく。そんなグラフを描いておいた。自分も1日1日、死に近づいているのだ、と。

 ところがスケッチブックの表紙をめくるや、微妙な空気が客席に流れた。「ま、口で説明すればいいんですけど」と探りを入れると、わっと客席がわいた。やっぱり、できばえがシンプルすぎるのだ。

 ならばと、残る2、3枚目は初めから笑いのネタにした。客席の大笑いが気持ちよかった。「画伯!」と大きなツッコミが聞こえた。客席の一番後ろに陣取った村本さんだった。

 実はこの日、サプライズでやりたいことがひとつあった。いつも面倒を見てもらっている配偶者に、感謝の気持ちを伝えることだ。

「がんのおかげ」という話にひっかけて「おかげで配偶者が自分を大切にしてくれることがわかった」と切り出し、後ろのほうの席にいた彼女にその場で立ち上がってもらった。お客さんに頼んで拍手をしていただく。ここまでは予定通りだった。

 だが、ここで村本さんが動いた。

 気づいたら彼女は舞台の私の隣で、私のことを矢継ぎ早に質問されていた。

「がんになってどういう気持ちですか」「いいところと悪いところは」

「いいところは安定しているところですかね」。気恥ずかしさで顔を背けていたため、内容はほとんど覚えていないが、マイクを通した声が背中のほうから聞こえてきた。助け舟に入ろうと思った記憶がないということは、よほどすらすらと無難に答えていたのだろう。まったくたくましい。

 予定を2時間ほど過ぎて全員の出番が終わった。

 建物の外で立ち話をしていると、こちらをうかがっている2人組の青年がいた。目が合うと、やってきて握手を求められた。

「よかったです」「よかったです」

 へえ、「よかった」んだ。

 その言葉の響きがなんとも新鮮だった。

笑いは「がん患者」という一面に限らず、私という人間を丸ごと肯定してくれる気がした。客席の笑い声に温かさを感じたのもそのせいだろう。

 スケッチブックのフリップに「3枚のお札」の昔話を思い出した。

 山に入った小僧が鬼婆に食べられそうになり、和尚さんから渡されていたお札を次々に使って危機を乗り切る。そんな話だ。

「3枚のフリップ」の使い道を切り替えたのは、とっさのアドリブだ。どうすればいい舞台になるか。お客さんの反応をみてひねり出しに過ぎない。

 がんになってからの日々もこれに似ている。

 目の前に次々現れることをただ必死にやるうちに、人との出会いが生まれ、予想もしない機会がめぐってきた。根本的には元のままでも、人として変わった部分もある。昔の像で人から見られているのを感じると、少し前にはやった歌の歌詞のようにつぶやきたくなる。そこに私はいません――と。

この日の帰宅はけっきょく未明になった。スケッチブックを抱えた配偶者とタクシーで家に着いた時には「7月19日」は終わっていた。1日生きればそのぶん、死に近づくことになる。その1日を、ほかの出演者やお客さんと分かち合えた自分を、幸せだと思った。 (出所:AERA.dot連載「書かずに死ねるか―『難治がん』と闘う記者」、2018年8月18日掲載)

舞台に立った筆者とウーマンラッシュアワー村本大輔さん(撮影/写真部・小原雄輝)

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