「専門家」でも漏らす…人工肛門をめぐる医療従事者と難治がんの記者の攻防
うまくいかなかった2度の手術。「もう完全に治ることはない」と医師は言った。「1年後の生存率1割」を覚悟して始まったがん患者の暮らしは3年目。46歳の今、思うことは……。2016年にがんの疑いを指摘された朝日新聞の野上祐記者の連載「書かずに死ねるか」。今回は「人工肛門」について。
* * *
いずれ言われるだろうと想像はしていた。
それでも、「がん細胞がおなかの中に散らばった疑いがある」と主治医が今月6日に言い出した時は「急だな」と感じた。その前の診察で、同じCT検査の画像を見た時は、何も言っていなかったからだ。
「このあたりがモヤモヤしていますね」
主治医は体を輪切りにしたモノクロ画像のへそ辺りを指し示す。たしかに、空に浮かんだ雨雲のような灰色の影がみえる。
次にパソコン画面に映し出された折れ線グラフも、この2カ月間でククッと右肩上がりに上昇していた。「ああ……腫瘍(しゅよう)マーカーの数値が2回連続で上がってますね……」と相手はため息をついた。
病状が悪くなっているとすれば、これまで使ってきた抗がん剤がもう効かなくなったことになる。前回のコラムで書いたように、新しい抗がん剤に切り替えると、口内炎や味覚障害といった副作用が出るおそれがある。味をそのまま感じなくなり、ものを口にすれば痛む。つまり、人並みの食生活が難しくなる。
仕方ないか、と思っていたら、主治医が慌てだした。パソコンをせわしなく触り、こちらを向いて、すまなそうな顔をした。
「野上さん、申しわけありません。他の患者さんのカルテを見ていました」
「CTの画像と腫瘍マーカーの折れ線グラフ、両方ですか」
「そうです」
主治医は私のリポートを画面に出して読み上げた。疑いが持たれた部分は「前回と同様」。つまり、がん細胞は散らばっていない、ということだった。
私の診察前に、その患者について問い合わせる電話がかかってきた。だからそのカルテを出していた――と相手は釈明した。よくわからないが、いずれにせよ治療を左右する話ではない。「それならよかったです」。身をすぼめている相手に言い、診察室を後にした。
抗がん剤の点滴が始まるまで、まだ40分間ある。気晴らしに病院近くのそば屋に行き、食事が運ばれてくるまでに「事件」のいきさつを配偶者にメッセージで知らせた。驚かさないよう、書き方に注意した。
考えてみれば、先ほどの私のような「疑い」が持たれている患者がいるということだ。本人はどんな気持ちで医師から話を聞く(聞いた)のだろう。ひとごとではない。いつものダジャレが頭をよぎった。
「明日は我が身、明日は野上」
けっこうな取り違えなのに怒らなかったのは、それだけ安心したせいだろう。主治医が恐縮しきっていて怒れなかったこともある。
◇
患者は医者や看護師に対して弱い立場だ。基本的には信頼して身をゆだねるしかない。にもかかわらず、もの申さずにはいられなかったことがある。
一昨年11月に2度目の手術を受けた後の話だ。普通に排便するとおなかに感染するかもしれないということで、へその10センチほど右側に腸の一部を出して人工肛門(こうもん)をつくった。
色と大きさは、大きめの梅干しぐらい。空気が漏れ出す音から、配偶者は「P」と呼ぶ。
ものを食べると、早ければその食事が終わる前に、Pから出始める。おなかに貼り付けた袋にためておき、1日に幾度となくトイレに捨てにいく。
「便」と聞いて思い浮かべる特有のにおいはない。しかし、見た目はゆるい「便」そのものだから、電車の中や人ごみで漏れ出す「事故」が起きたら、パニックになるだろう。当然、表に出かけるときはスペア一式やタオルが手放せない。危なそうなら早めに替える。
睡眠中も神経は休まらない。深夜でも、早朝でもおなかがピクつき、「漏れる!」と暗闇の中で跳び起きることはしょっちゅうだ。
そこまで気をつけていても、すべての「事故」が防げるわけではない。そのため、初めのころは「袋を貼り付けるのに早く慣れてください」と入院先の大学病院でよく言われた。努力が足りないと暗にとがめられているように聞こえる。イライラした。
ある日、好機が訪れた。とあるベテラン看護師が袋を貼り替えてくれることになったのだ。Pの扱いに詳しく、資格を持っているという触れ込みだ。漏れなければ彼女のやり方をまねればいいし、漏れるなら、習熟を求められることもなくなる。どちらにしても好都合だ。
決着はあっけなくついた。「専門家」が貼り付けた袋からは早々に便が漏れて、決壊した。けっきょく正解は見つからなかった。なのに、じわっとうれしさがこみ上げてきたのを覚えている。
予想通り、そうしたいきさつを知らない医師や看護師が「最近はどうか」と尋ねてきた。
相変わらず便が漏れますね。そう答えると、「袋のつけ方を十分、練習してくださいね」と決まり文句が返ってきた。
すかさず「専門家」の名前を挙げた。「あの人にやってもらったんですけど、漏れました」。今後はイライラさせられることのないよう、黙り込んだ相手にクギを刺した。
「専門家がやっても漏れるんですから、私が練習しているか、慣れているかは関係ないですよね」
病気になって知ったのは、医師や看護師は、専門分野でも私が抱く疑問に答えられないということだ。説明の理屈が通らず、重ねて尋ねても、同じことをただ大声で返してくるような場合もある。配偶者にこぼしたものだ。
「それでも受け入れるお年寄りの患者さんが多いから、こうなるんじゃないか」
私でいえば、痛み止めの問題だ。
口にしたものがほかの人よりも圧倒的に早くPから排出されるのに、同じ量が吸収されているのか。多めに飲まなくていいのか。
どこの病院で尋ねても、答えはなかった。飲み薬の量を増減したデータがないなら、合理的に推測すればいいのに、と思う。ただ彼らは単にゼロ回答になるのだと気づいた。
「自分が闘っている相手は病気ではない」と考えるようになったのはいつごろだろうか。
治療や仕事で関わる、決して悪意のない人たち。より正確には、その間でパターン化されてきた考え方や習慣こそ、自分を困らせる敵ではないか、と。
しかし、そんな医療者でも信頼し、相談するしかないのが実情だ。
むやみに怒りを表に出しても、相手の成長は望めない。できるだけ笑顔でコミュニケーションをとってと、いつしか心がけるようになっていた。そのことが、カルテを取り違えた主治医への対応にも表れたのかもしれない。
自分が楽しくて笑っているのか。何かにあきれ、怒っているから笑顔を浮かべているのか、よくわからない――。そう書いていて、昔のコラムのタイトルが「道具としての笑顔」だったことを思い出した。
自分こそパターン化されているのではないかと思ったら、思わず笑っていた。そして、これはあきれによる笑いかと、画面上の文字を眺め、もういっぺん笑った。
(出所:AERA.dot連載「書かずに死ねるか―『難治がん』と闘う記者」、2018年8月11日掲載)
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません