抗がん剤治療で味覚障害や口内炎も… 難治がんになってわかった「食べる」ということの意味

うまくいかなかった2度の手術。「もう完全に治ることはない」と医師は言った。「1年後の生存率1割」を覚悟して始まったがん患者の暮らしは3年目。46歳の今、思うことは……。2016年にがんの疑いを指摘された朝日新聞の野上祐記者の連載「書かずに死ねるか」。今回は「食べること」について。

【社内の知り合いからもらったお茶】

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 平日の夕方になるとスマートフォンが鳴る。仕事を終えて帰宅する配偶者からだ。

 今日の夕食はどうするか。リクエストはあるか。必要ならば帰りがけに買い物してくる。

 彼女に言わせれば、私は食べ物の好みがうるさい。また、体調のせいで食欲がない日もある。しかし、このところ「舌べろ」が受けつけないことはない。それが、どれほどありがたいことか。

  ◇
 昨秋までは違った。そのころまで使っていた抗がん剤に「味覚障害」の副作用があったからだ。

 舌の神経がおかしくなる。味をはかる物差しが狂うため、私でいえば、甘さやしょっぱさといった味の「輪郭」がぼやける。味にうるさいとか、舌がぜいたくになったとかいうレベルの話ではない。これまでおいしかった食べ物をまずく感じるようになる。配偶者が悲しむ。

 当時は、特定の食べ物に数日間から数週間の「ブーム」が訪れることがたびたびあった。逆に言えば、それ以外はまるで受けつけないか、とる気がしなかったということだ。昨夏、メモ用紙に書き出した品々を挙げてみると――。

 主食ならばカレー、うなぎ、ボルシチ、カップラーメン、マスずし、マグロの握り、梅と大葉ののり巻き。

 主食以外では、ミニトマトやサケの中骨の缶詰、コンビニのから揚げ。カマンベールチーズがむやみにほしくなった時期もある。

 このうち、カップラーメンやコンビニのから揚げあたりは「体にいいの?」と首をかしげる方もいるだろう。

 かつて私は入院中に「病院が出す食事でなくても、食べたいものを食べればいい」と医師から言われた。いま挙げた品はどれも「いま何がほしいか」と自分に問いかけた結果だ。

 本屋に行けば、がんに効果があるとうたった食事の本が並んでいる。

  何(誰)を信じるかという「好み」は人によって違う。後で悔まなければいいのではないか。


「あれは何だっただろう」。昨夏、メモ用紙を眺めた私は、それと似たものをどこかで見たような気がした。少し思いめぐらせて、「あれか」と気づいた。

 前回の東京五輪のマラソン競技で銅メダルを取った円谷幸吉の遺書だった。

「父上様、母上様、三日とろろ美味(おい)しゅうございました。干し柿、モチも美味しゅうございました」と、それは始まる。

 身内と食べ物の名前を一つ一つ挙げては「美味しゅうございました」と繰り返す単調なリズムがもの悲しい。

 彼は父母にわびる。「幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません。何卒(とぞ)お許し下さい」

 この遺書を連想したのは、私の人生に一瞬だけ姿を見せたことがあったからかもしれない。

 2カ所目の任地となる静岡県の沼津市内。取材先と飲みにいった店で、その知り合いにばったり会った。

5、60代の男性。小ぎれいな身なりで、穏やかにほほ笑んでいた。

 きっかけは覚えていない。「円谷を知っているか」と男性から尋ねられた私は、愛想よく答えた。

「はい。なんとか美味しゅうございましたー、なんとか美味しゅうございましたー、の人ですよね」

 それが、円谷を小馬鹿にしているように聞こえたらしい。急に怒り出した。

 あんたみたいな若いのに何がわかるんだ。ひとりの人間が死んでいるんだぞ。その言い方はなんだ。

 まあまあ、と取材先がとりなしても男性はおさまらない。ほうほうの体(てい)で二人して店を出た――。

 もう20年近く前のことになる。穏やかだった男性の表情が一変した驚き。店の内装は赤っぽかったように記憶している。

 それでもやはり、なぜ遺書を連想したのか、との疑問は残る。食べ物が並んでいるだけならば飲食店のメニューでもよかったのだ。死を意識していたわけでもあるまいに。

  ◇
 確かにその直前、体調のことでひどく驚いたことがあった。

 消化管と血管がつながってしまったかもしれない、と緊急入院先で言われたのだ。

食べ物や飲み物から血管に菌が入って高熱が出るおそれがある。もう口から飲み食いはできず、すべて点滴になるかもしれない、と。

 まず思い浮かべたのは配偶者の顔だった。以前の6割にまで落ち込んだ体重がさらに減らないよう、私の食事に知恵を絞ってきたのだ。それができなくなるショックはどれほどだろうか――。

 幸い、これは「仮説」で終わった。

肝心なのはこれからだ。いったいどんなことが起こりうるのか。

 いま食べ物を味わえるのは、使っている抗がん剤に味覚障害の副作用がないおかげだ。

 だが薬剤は時間がたつにつれて耐性ができ、使えなくなるとされる。現在のものはどれぐらい使えるのか。主治医に尋ねたときの答えは「2年間使えた方もいる」だった。

 しかし、その2年間の節目は今年6月に過ぎた。いつ体調が悪化し、「効かなくなった」と判断されても不自然ではない。

 膵臓(すいぞう)がんはがんの中でも生存率が低いとされる。原因のひとつが使える抗がん剤の少なさだ。

 私の場合、今のものがもう効かないとなれば、基本的にあと1種類しか残っていない。

 副作用の出具合は人それぞれとはいえ、こちらは味覚障害ばかりでなく、口内炎ができるおそれもある。味に加えて痛みのため、食事がより進まなくなるかもしれないわけだ。

 病院などでは、味覚障害の患者のための講習会が開かれることがある。栄養不足に陥らないよう、とりやすい味にするといった狙いだ。

 もちろん、抗がん剤を切り替えても病気が悪化すれば「効果がない」として使われなくなり、味覚障害に苦しむこともないだろう。だがそれを望む人はいるだろうか。

 手を尽くしたうえで割り当てられた我慢はしなければならない。

  ◇
 人は生まれ、やがて死ぬ。そこにあって「食」はただの栄養ではない。家族や友人との思い出を彩り、人生を意味あるものにしてくれるものだ。

 黒沢明の映画「七人の侍」にこんな場面がある。野武士の襲来に備えて侍を雇おうと、農民が米の飯を差し出す。侍は「この飯、おろそかには食わんぞ」とおごそかにそれを口に運び、村を守ることを約束する。

 病院のレストランで会社の先輩からごちそうになる1杯のコーヒー。これなら食べやすいだろうとお見舞いの人が気づかってくれる結果、すっかり我が家の冷蔵庫の常連となったゼリー。季節になると福島から届く果物。

 いま口にしているものをいつでも、あるいはいつまでも、味わえるとは限らない。そこに込められた思いも、時間も、決しておろそかにはすまい、と思う。

(出所:AERA.dot連載「書かずに死ねるか―『難治がん』と闘う記者」、2018年8月4日掲載)

3日に社内の知り合いからいただいたお茶

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