疲労感、髪の毛がごっそり抜け… 難治がんの記者が10分間の舞台でも震えそうな理由

うまくいかなかった2度の手術。「もう完全に治ることはない」と医師は言った。「1年後の生存率1割」を覚悟して始まったがん患者の暮らしは3年目。46歳の今、思うことは……。2016年にがんの疑いを指摘された朝日新聞の野上祐記者の連載「書かずに死ねるか」。今回は「体調」について。

【もともと剛毛だった髪の毛が…】

*  *  *
 7月8日午前6時過ぎ。

 照りつける太陽につい先走ったのか、庭でセミがジジジッと一節、鳴いた。

「時期を間違えたんじゃない?」と配偶者が笑う。鳴き声が続くのを待ったが、次に聞こえてきたのはお昼時だった。

 それまで鳴くセミがいなかったと断言できるのは、庭に面したベッドから午前中いっぱい離れられなかったためだ。

 眠気に貧血が入りまじったように頭がしびれ、こめかみがきしむ。ぎゅっと目をつぶってベッドで耐える。目を閉じているのに、天井の明かりがぎらつくのを感じる。ちょっとした物音が金属音のように耳に突き刺さり、様子を見にきた配偶者のため息がときおり混じる――。こんな日が最近、週に何日かある。

 夏の日差しが厳しいとはいえ、家にこもりっぱなしでいるわけにはいかない。10日に一度は抗がん剤の点滴を受けるために病院に通わなければいけないし、体を動かして体力を取り戻さなければ、病気に押し込まれるいっぽうだ。

 今では太ももはやせ細り、広辞苑ほどの厚みがあるかどうか、といった感じだ。本屋で10分間も立ち読みすると、冗談のように太ももが震え出す。

 いったん外出すれば、日差しの下から屋内に逃げ込んでも、お日さまが額にピタッと張りついたように熱を発し続け、まぶたの裏でジリジリ照り続ける。

歩いていて「疲れた」と感じたら、うつむいて立ち尽くすしかない。建物にたどり着けるだけの体力が回復するのを待ち、そろそろと歩き出す。

 昼間には時々、知り合いが訪ねてくる。会えば会話が弾み、「元気そうでよかった」と相手はたいがい安心して帰っていく。その後、疲れがどっと出る。言葉数やうなずきを減らして体力を温存することができないためだ。

 これだけ疲れているのだ。目覚めれば朝だろう――と思って夜、ベッドに横になる。

 ところが午前1、2時には目が開き、眠いのに眠れないままものを書いたり、本を読んだりして過ごすことになる。翌朝、配偶者の物音で目覚めた時にはもう疲れている。それが核となり、雪だるまのように疲労感がふくれあがって、根雪となる。体は重くなるばかりだ。

  ◇
 最近、2年ぶりに髪の毛がごっそり抜け落ちた。

 前回は強い抗がん剤の副作用だったが、今回は原因がはっきりしない。

昨秋、その抗がん剤を使わなくなると、ほどなく髪の毛は元通りに生えそろったのだが。

「また抜けてきたんですよ」

 先日、病院の看護師に伝えると、驚かれた。いま使っている抗がん剤には、髪が抜ける副作用はない。やめた薬の影響が今ごろ出るとも考えにくい。「遺伝でしょうか」といわれ、「この年になって初めて?」とつい聞き返してしまった。

 近所の床屋にも同じことを伝えた。彼は「これは遺伝の抜け方じゃないね」と断言した。

 抜けはじめた位置も、髪の細り具合も違う。バリカンで最短の0.5ミリ程度まで刈り上げながら、丁寧に説明してくれた。

 正直なところ、どちらが真相でも構わない。私のがんは使える抗がん剤が限られている。そこに生命力の衰えをうかがわせることが起きた。それが大事なのだ。

  ◇
 この連載で体調について長めに書いたのは、5月に入院生活を振り返って以来になる。

どんなテーマを取り上げるにせよ、書く中身は、その時の体調と切り離せない。だから連載では毎回、病気との関わりに触れるようにしている。

 ただ、どれも頭が働く時間をかき集めて書いたものだから、一目で「大丈夫か?」と心配されそうな乱れ方まではしない。結果的に、病気からくる切迫感なども伝わりにくいのではないか、と想像した。

「そんなに元気いっぱいなわけではない」。いわば背景説明のつもりで、今回のコラムは書いた。

 それでいうと、以下の話もひょっとしたらその「補強」になるかもしれない。

 これが公開される前日の13日午前。コラムのタイミングをめぐり、自分が思い違いをしていることに気づいた。

 私は19日夜、がん患者としての日々について舞台で話すことになっている。番組出演で知り合ったお笑い芸人の村本大輔さん(ウーマンラッシュアワー)からのお誘いだ。

 連載を読んでいただいている皆様には、直前の回でお知らせするつもりでいた。だがなぜか、そのタイミングが今回ではなく、1週間後だと勘違いしていたのだ。

「先走って鳴き始めたセミを笑えない」。配偶者にスマートフォンでメッセージを送った。

 ちなみに舞台で与えられているのは10分間。緊張していなくても、終わるころには太ももが震えているに違いない。

(出所:AERA.dot連載「書かずに死ねるか―『難治がん』と闘う記者」、2018年7月14日掲載)

散髪前の筆者。もともと剛毛だった髪の毛が細く、やわらかくなっている。7月7日撮影
散髪後。7月8日撮影

Follow me!