難治がんの記者が「病気からも何かを生み出せる」と希望を感じた、ある男の“苛烈な人生”
働き盛りの45歳男性。がんの疑いを指摘された朝日新聞記者の野上祐さんは、手術後、厳しい結果を医師から告げられる。抗がん剤治療を受けながら闘病中。
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世の中には朝日新聞が嫌いな人が大勢いる。同じコラムに対してその人たちからも、愛読者からも賛否両論が寄せられると、ほっとする。人や言葉を敵味方に分断する壁。それを束の間、揺さぶることができたように思うからだ(勘違いかもしれない)。
それだけに、対立する2陣営のどちらからも憎まれ通したという17世紀の英国の哲学者には同情を禁じえない。「万人の万人に対する闘争」で知られるトマス・ホッブズだ。
高校時代に世界史の授業で出会った彼のことを知りたくなったのは、がんの影響だ。
人間には動物と違って予見能力がある。だから、将来飢えたときのために穀物を自分のものにしておこうとして、人と人とが争う状況が生まれる、と彼は言う。
これから自分はどうなるのか。一昨年にがんと分かり、「予見能力」と「予見可能性」は急に身近なテーマになった。米大統領選が争われていた一昨年、まだ候補者だったトランプ氏の動向から目を離せなかったのも、その関係だ。先行きが見通せない自身の体調とリーダー候補の言動、それに左右される世界情勢をいつしか重ね合わせていた。
その「予見能力」に着目して「万人の万人に対する闘争」という考え方を発想したのがホッブズだ。何とも殺伐とした人間、世の中に対する見方ではないか。がんになったぐらいではとても思いつかない。どんな体験から生まれたのか、がぜん興味がわいた。
大学時代の教科書を引っ張り出し、買い求めた新書を読んでその生涯をたどり終えると、感心とも同情ともつかないため息が漏れた。
こんな人生なら、そう考えるようになるのも無理はない、と納得した。
ホッブズは若くして父親を亡くし、伯父に援助されて学業を続けた。その身分では、名門大学を卒業しても食べていく道が保証された時代ではない。革命直前に身の危険を感じて亡命し、王党派と行動をともにしているのに、「無神論者だ」と派内でにらまれる。革命後に帰国すれば、「もともと王党派だ」と憎まれる。対立する二つの陣営から疑われ、憎まれ、91歳まで生きた―――。
「人間関係は万人の万人に対する闘争だ……。そう思いながらこの年まで生きていくなんて大変だと思うよ」。そばにいた配偶者につい、そんな話をした。
病気と付き合うには最悪の事態を想定しておくことだ、と前にコラムで書いた。そうすれば、いざというときに動揺が小さくて済むからだが、不安を招く面もあることは否めない。
私たち夫婦2人には、忘れられない男性がいる。私や多くの膵臓がん患者と違い、根治に不可欠な腫瘍の切除に成功した人だ。人もうらやむ立場だが、当然ながら本人は現状に満足しない。いずれ再発するのでは、と心配していた。
私も含め、人間とは将来を思いわずらい、何かせずにいられないものだ。いま考えれば、将来の飢えを心配するホッブズの世界そのものにみえる。
普通の感覚でいえば、ホッブズの人生が幸せだったとは思えない。
一方で、その思想は生き延び、今も影響を与え続けている。田中浩『ホッブズリヴァイアサンの哲学者』(岩波新書)にはこうある。「日本国憲法の三原則 ―基本的人権の尊重、国民主権主義、平和主義― は、まさにホッブズの政治原理そのものではなかったか」
はた目には、本人を苦しめた苛烈さも無駄でなかったと思えるが、どうだろう。
私がコラムにつづる思いつきは、体系だった思想とはほど遠い。ただ、彼の人生が苛烈であればあるほど、病気のような好ましくない体験からも何かが生み出せそうな気がして、希望がわいてくるのも事実だ。
こんな時に、配偶者とはありがたいものである。「こっちが書いているのは立派な思想じゃないけど、親しみを感じる」という私に「自分の生活から文章を書いているのは同じじゃないの」と話を合わせ、背中を押してくれるのだから。
布団の中で原稿の構想ができたのは、日付が変わる前後の時間帯だ。左手でスマートフォンを握りしめ、朝方まで4時間ほど原稿をフリック入力し続けた。
ふだんの倍以上の時間をかけたせいか、まどろみから目覚めると、左手首が固まっていた。ずいぶん力んだものだ。薄暗がりの中で苦笑いした。
(出所:AERA.dot連載「書かずに死ねるか―『難治がん』と闘う記者」、2018年3月31日掲載)
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