「難治がん」の記者が悩む 文章で(笑)を使うべきかどうか

働き盛りの45歳男性。がんの疑いを指摘された朝日新聞記者の野上祐さんは、手術後、厳しい結果を医師から告げられる。抗がん剤治療を受けながら闘病中。

【宮沢喜一元首相と高坂正堯京大教授の対談で使われた(笑)】

*  *  *
 いやにくっきりと覚えているのは、それが明け方の最後に見た夢だったからだろうか。

「彼に気づかれないようにこっそりと進めたいというわけだな」

 朝日新聞社の一角とおぼしき部屋。でっぷりとした姿で私の目をのぞき込んできたのは、本来そこにいるはずのない元首相だった。「いま、トレーニングをしながら考えたんだが」という口ぶりは、あまり乗り気でないように感じられた。右隣に腰かけている同僚の様子をうかがうと、ドロンとした目でこちらもやる気を失っている。まずい。ここで相手を説得できなければ、予定している連載の回数を減らさざるをえなくなる。1本なら構わない。だが今それを口にすれば、どんどん減らされ、同僚のやる気はゼロになる。「この連載は画期的なんです」と説得しようと、笑顔の下で必死に頭を回転させる。さて、どこが画期的だと説明したものか……。

 けっきょく答えが出ないまま、夢から目覚めたのは3月2日の明け方だ。そこではなぜか、元首相は会社の上司で、私は病気のために途中で投げ出した福島総局のデスクを続けていた。同僚のやる気のなさなど、実際とは大きくかけ離れている。唯一、リアルだったのが、自分のつくり笑顔だった。

 人の心には浮き沈みがある。あの顔で自分は、ともすれば遠ざかろうとする人の心をつなぎとめ、闘ってきたのだ。

 まだそうした日々への執着がある、ということか。今になってこんな夢を見るなんてと自分がいじましく、鼻の奥がツンとした。

 この気持ちを忘れまい。薄れゆく夢をスマートフォンで書きつけた。A4判で2枚ほどの分量になった。

  ◇
 「書き残さなければ」という切迫感と、「気づいてしまった以上は伝えなければならない」という使命感。

 この二つが相まって、自分の文章はこのところますます長く、直接的になっている。

 メールやSNSのメッセージは普通、相手との間に波風を立てまいと、筆を抑えるものだ。

ところが、気づいたら、そうした配慮はどうでもよくなっていた。

 一見すると相手を気づかっているようだが、実際は、相手とぎくしゃくすることで自分が損したくないだけではないか。また、十分に働けない私が他人の仕事ぶりに口を出すのはみっともないとしても、それで言葉を控えるとしたらやはり我が身かわいさに過ぎない。

 もちろん、何か起きても「ここに書いてあります」という電化製品の説明書のように、長さが「言うだけのことを言った」というアリバイづくりになってはいけない。おおむね文章は短いほうが相手の心に届く。

人目を気にして言葉をのみ込まない。それは、世間に向けた文章ではいっそう大切なことだ。

 先日、「『難治がん』の記者が信じるのは 難病のつらさを知る安倍晋三さんだ」というコラムを書いた。

 こんなことを書いたら、病気などの危機を体験した政治家への見方が甘くなったと周りに思われないか。一瞬、そんなことを考えた。

病気になった朝日新聞の政治記者は、どんなものを書くのが「正解」なのか。

 頭に浮かぶのは、中曽根康弘元首相の「暮れてなお 命の限り 蝉時雨(せみしぐれ)」という句だ。

 せみは短い一生を、鳴いて終える。

 今の政治や為政者のありようを厳しく指弾し、世の行く末を憂い、声を上げ続ける–。有り体にいえば、病気で味付けしながら社説をなぞっていけば、社内や愛読者からは「見事な散り際だ」と感心してもらえそうな気がする。

 しかし、そんな物差しでいいのだろうか。

 学生時代。記者とは他人と違うことに目をつけ、違うように書く仕事だと漠然と思っていた。だからこそ、病気といった他人と違う体験も生かしうる、一人ひとりがバラバラであることは強みなのだ、と。それがいつの間にか、できるだけ違いをなくし、「正解」の範囲内に収まるように、自らを寄せていく発想に逆転していた。

 元首相が演じたような上司は、何を「正解」と考えているのだろう? 「上」の意向を忖度し、させる政治のありようを批判する人間のどこかにそんな感覚があるとしたら、それこそ笑えない。

  ◇
 笑いといえば、メールに「(笑)」を使うかどうかで悩んだことがあった。

 まだ、波風を気にしていた昨年の夏の話だ。

かつてはメールでややこしい頼み事をしたら「いまメールを送りましたが」と電話するのが常だった。病気になってからは「お体はいかがですか」と相手に気をつかわせるのが嫌で、かけなくなった。

 向こうも電話を遠慮したせいか、仕事絡みでもらうメールにとげとげしさを感じることが出てきていた。

 朝日新聞の記事で使用例を調べると、それまでの1年間で300本超がヒットした。政界きってのインテリとされた宮沢喜一元首相と高坂正堯・京大教授の対談本「美しい日本への挑戦」にも2人の「(笑)」が出てくる。思った以上に世間は笑いまくっていた。

 ただ、その後はメールのやりとり自体が減ったこともあり、うやむやになった。

 例の夢から数日後。そこに登場した先輩記者がSNSで彼の記事を紹介しているのに気がついた。一読して、もうちょっと書きようがあるだろうと思い、コメント欄で注文をつけた。

 一緒に働いていたときに、ご自宅をうかがったこともある仲だ。多少、辛辣(しんらつ)なことを書いても許されると思ったが、今のところ注文への答えはない。

 抗がん剤がそうであるように、強いものがいつでも、誰にでも効くとは限らない。

 切迫感や使命感は、それに触れる人をしかめっ面にしがちだ。

 それこそ「(笑)」でもおしりにくっつけておけばよかったのかもしれない。

(出所:AERA.dot連載「書かずに死ねるか―『難治がん』と闘う記者」、2018年3月24日掲載)

宮沢喜一元首相と高坂正堯京大教授の対談「美しい日本への挑戦」(文芸春秋、1984年)より。憲法と安全保障問題の間に「曖昧さがあるほうがいい」という高坂に対し、宮沢は「先生がおっしゃれば曖昧さというのは立派に通るんですが、私が曖昧さといいますとね、これはなかなか世の中で受けつけてくれない。(笑)」と応じる

Follow me!