「難治がん」の記者 スクープをめぐる「ほっけの開き」という言葉がかたちづくるもの

働き盛りの45歳男性。がんの疑いを指摘された朝日新聞記者の野上祐さんは、手術後、厳しい結果を医師から告げられる。抗がん剤治療を受けながら闘病中。

【朝日新聞の福島県版連載「緊急連載 現職不出馬」はこちら】

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 前回のコラムに添えられた夫婦の写真は、担当者が過去に使われた写真の中から探してくれた。

 中国の人権活動家で夫の劉暁波(リウ・シアオポー)さんと、妻の劉霞(リウ・シア)さん。ともに丸刈りでメガネをかけている。寄りかかっている夫がいなくなれば倒れてしまいそうな妻の雰囲気は私の記憶通りだった。

 ただ一つ、違ったのが2人の並び方だ。向かって左に妻、右に夫と覚えていたが、写真では反対だった。

 人はよく「映像を覚えている」という。だが正確には「丸刈り」といった情報を覚えていて、そこから映像を再現するのだ。私は左右を覚えておらず、コラムにも書かなかった。そのために起きた逆転現象だった。

「場面が色とともによみがえる」。かつて書いたコラムに、面識のない読者からそんな感想が届いた。がんになって以来、ものを書くときに限らず、過去の情景を思い出すことが増えた。それを再現する言葉は、遠ざかろうとする思い出をつなぎとめるフックにもなっている。

 あれからもう20年以上になる。初任地の仙台で、ある先輩記者が「『茶碗は何色か』って話、聞いたことある?」と尋ねてきた。

 福島県の木村守江知事が汚職事件で逮捕されたのは1976年。事件の全貌を描いた朝日新聞の県版連載「木村王国の崩壊」に取調室の場面が出てくる。

 取材にあたった記者に、原稿を仕上げる役回りの上司が尋ねる。「そこにあった茶碗は何色だったか」。記者は取材に走り、茶碗が水色だったことをつかむ、という伝説だ。

 すっかり話に引き込まれている私を見て、先輩は愉快そうだった。もしかしたら自分もかつて同じように聞かされ、感心した覚えがあるのかもしれない。「別に茶碗が何色でも、原稿の中身には関係ないんだけどさ。それが水色だったっていうだけで、ふっとその場面が浮くじゃない?」

 この連載をまとめた本を読み返すと、知事が現金を受け取る場面が出てくる。業者が紫色の風呂敷包みから茶封筒を出す姿が色鮮やかによみがえる。

 4年前、その福島に赴任した。記者の原稿を仕上げる次長(デスク)としてだ。ちょうど知事選があった。記者たちは当時2期目の佐藤雄平知事が立候補を見送るという特ダネを放った。翌日には、内堀雅雄副知事(現知事)を後継に指名する動きを立て続けに報じた。

 特ダネから9日後の2014年9月4日。知事は記者会見を開き、立候補しない考えを正式に表明する。副知事は出張先の愛知県で、見送り表明を事前に知らせる知事からの連絡を受けた。

 和食店で携帯電話が鳴ったとき、副知事は昼食に何を食べていたのか。

 各報道機関でただ1人、副知事に張り付いていた鹿野幹男記者(現つくば支局員)に総局の高田寛記者(現経済部)が取材を指示した。

答えは、ほっけの開きだった。人生に関わる電話を副知事が身構えずにとったことをうかがわせる小道具として、県版の「緊急連載 現職不出馬」に登場させた。連載には、見送りに至る水面下の動きや、当事者の読み違い、記者の粘り強さに思わず漏らした本音などが、細やかな情景とともにぎっしりと詰め込まれている。

 言葉は、イメージをかたちづくる。それは具体的な場面のこともあれば、頭の中にだけ存在して姿形のない「考え方」という場合もある。

 突然、行く手に立ちはだかった「膵(すい)臓がん」という大敵にどう立ち向かうか。福島で受けた人間ドックで要精密検査の結果が出た後、自分なりに対処方針を決めた。それを家族や見舞にきた知り合いに繰り返し言葉に出すことで固め、ぼやけたりふらついたりしないように心がけた。

 その中にはいちから頭で考えたものも当然、ある。だが多くは、前に読んだことがある本や、病気になってから手に取った本、人から聞いた言葉を頼りに作り上げてきたものだ。

たとえば、「常に最悪の事態を頭の中に置き、根拠のない希望は持たない」という方針がある。と言っても、これだけならば「なんだ珍しくもない」と思う方が少なくないのではないか。だが大切なのはそこにどれだけの実感、覚悟が伴っているかだ。私の場合、ある漫画に出てくるセリフのおかげでイメージが鮮明に、そして揺るぎないものになった。

 花村萬月作、さそうあきら画の「犬犬犬(ドッグ・ドッグ・ドッグ)」(小学館)。登場する暴力団の組長は、自分を殺そうとしたチンピラをリンチにかける。死を覚悟したチンピラが脳内麻薬のせいか、痛みを感じなくなると「許す」と伝え、チンピラの反応を見る。「ほーら、痛みがぶり返してきよった。おもろいな人間は。生きられるかもしれんと思ったとたん、脳内麻薬なくなってしもた」

 もちろん、そうさせるために組長はうそをついたのだ。信じたチンピラを悲劇が待ち構える。

 がんと聞いて頭に浮かんだのは、むかし読んだこの陰惨極まりない場面だった。人の苦しみは心の持ちように左右される。ならば「一喜」しないように自分に言い聞かせ、心が「一憂」に振れないようにしよう。

 それがどれほど役立ったかはわからない。ただ、治療を始めてすぐのころ、多くの患者を診てきたベテラン外科医から「泰然自若としている」と言われたことは自信になった。このまま行こう。行くしかないのだ、と思った。

 言葉の力。

 新聞記者になってから20年以上がたち、初めてその大きさを知ったのかもしれない。

 だが言葉には、影響力が大きいだけに、油断ならない面もあることに気づいた。つかず離れずの距離感が必要ではないかと感じた「異変」が昨秋、この連載が始まる直前、ある本屋で起きた。

 それから半年。言葉はこれまで通り頼りにしながらも、より気をつけて付き合う相手になっている。

 その話はまた次回に。

(出所:AERA.dot連載「書かずに死ねるか―『難治がん』と闘う記者」、2018年2月10日掲載)

福島県版連載「木村王国の崩壊」(上) 福島総局員だった鹿野幹男、伊藤嘉孝、佐藤啓介、永野真奈の各記者が担当した「緊急連載 現職不出馬」。福島県の佐藤雄平知事(当時)が知事選への立候補見送りを表明する当日、ホテルに集まった記者やカメラマン、支持者の熱意に「ショータイム、ショータイムだな」とつぶやく場面から始まる。この声は現場で永野記者がキャッチした (c)朝日新聞社
福島県版連載「木村王国の崩壊」(中)「中」には、自民党県連に推されて立候補予定だった人物が「ナッツとおひたし」をさかなに妻と晩酌する場面も。党本部の思惑で見送りに追い込まれる将来を暗示するかのように、「ここまで自分が出るのを望まない人がいるってことか」と記者にぼやく (c)朝日新聞社
福島県版連載「木村王国の崩壊」(下)(c)朝日新聞社

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