「難治がん」の記者 気がかりは配偶者のこと。目に浮かぶのは、笑顔の写真
働き盛りの45歳男性。がんの疑いを指摘された朝日新聞記者の野上祐さんは、手術後、厳しい結果を医師から告げられる。抗がん剤治療を受けながら闘病中。
【野上さんが思い浮かべる笑顔の写真】
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「ありがとうございます」というお礼に、思いのほか熱がこもった。一昨年の秋、主治医に別の大学病院で手術に挑むことを告げ、「うまくいくように願っております」と返ってきたときのことだ。
ふだん抗がん剤治療のために通っている主治医の病院は、がんの切除を試みるこの手術に消極的だった。成功してもしなくても体へのダメージが大きい、というのが一つ。画像検査でも成功は見通せず、「成功率が9割の状態でなければうちでは手術しない」と言われた。
一方、手術を受けることにした大学病院にしても、成功を保証してくれたわけではない。可能性は「フィフティー・フィフティー」。しかし、抗がん剤の効き目を考えれば「今がラストチャンス」という説明だった。
すい臓がんは切除しなければ完全に治らない。それはどの病院も一致している。だから自分は手術に持ち込もうと、抗がん剤によるさまざまな副作用に耐えてきたのだ。ここでチャンスを見送って「あのとき手術していれば」と後悔することだけは避けたかった。
患者の意思を尊重するのは医療界の原則だ。主治医が最終的に手術に反対しなかったのも、何かあったときに「患者が選んだこと」と言えば済むからかもしれない。だが、その対応には誠実さが感じられた。自分が反対する根拠を示し、相手が従わなくても成功を祈る。自分にできるだろうか。
●「私は灰となって君を抱きしめる」
ある夫妻のことをときおり思い出す。
夫は中国の人権活動家で、ノーベル平和賞を受賞した劉暁波(リウ・シアオポー)さん。体制批判がもとで投獄されたまま昨年7月に肝臓がんでなくなった。あとに妻の劉霞(リウ・シア)さんと、妻への言葉が残された。「粉々に打ち砕かれても、私は灰となって君を抱きしめる」
生前の夫を診察した独米の専門医は、所属先の病院で「最善の治療」の準備ができている、と発表した。夫妻が希望する海外への出国は、一定のリスクを伴うが不可能ではないという判断だった。これに対し、中国当局は出国を認めなかった。「国内トップクラスの専門医を集めて最善を尽くした」と強調した。
違う、と思う。
ある治療が最善かどうかはその内容から自動的に導き出されるのではない。
科学的根拠(エビデンス)を踏まえ、複数ある選択肢から自分で選び取った、という患者の納得感がいる。家族ともども心静かに治療に集中できる環境も大切だ。最善とはそうした様々な要素を当事者が組み合わせ、それぞれの価値観に沿って判断するものだ。
●末期がんとの闘いだけではなく
この大学病院での手術でも、がんは切除できなかった。おなかの手術痕は、一昨年2月に初めて切り開かれた「1」の字から横に一本増え、十文字になった。一時的なものと説明されて、へその脇につくった人工肛門をふさぐめどが立たなくなり、身体障害者手帳をもらうことになったのは前に書いたとおりだ。主治医が心配したように、体重、体力ともにいっそう落ちた。
それでも手術は最善の選択だった。いま振り返っても胸を張って言える。手術してうまくいった場合、いかなかった場合、そもそも手術しなかった場合。それぞれのパターンを思い浮かべ、配偶者と相談して納得して決めたからだ。治療に専念できたことは言うまでもない。
ひるがえって劉夫妻はどうだっただろうか。2人の前に立ちはだかったのは重い末期がんばかりではない。希望しているのをわかりながら出国を認めようとしない体制をも相手にしなければならなかった。生きるか死ぬかという瀬戸際に、治療以外のことまで考えなければならない。二正面作戦を迫られることがいかに当事者にとって酷薄なことか。
この件を取材してきた同僚によると、出国は妻の劉霞さんが、夫ががんだと分かる前から望んでいたことだった。夫は中国の民主化のためには国内に残って活動し続けるしかないと考えてきたが、妻の精神状態を気づかい、最終的に同意したのだという。
私の気がかりも配偶者のことだ。
最初の手術で入院したときは彼女の親戚宅に頼み、泊まらせてもらった。真っ暗な自宅にひとり帰れば、ものごとを悪い方向に考えてしまう。にぎやかな家で待っている親戚とおしゃべりし、少しでも笑いながら過ごしてほしい。そう思ったからだ。
取り巻く環境はまったく違う。それなのに、つい劉霞さんを私の配偶者と重ね合わせ、案じていることに気づく。いまだに当局の監視下に置かれ、故人の追悼に専心できないことがどれほどつらいか。昨年12月にはこんな詩を書いたと報じられた。
「私は植物のように生きている。死体のように横たわっている」「私は独りつぶやく。おかしくなりそうだ。こんなに孤独で、話をする権力もない」
それでも、彼女を思うとき、目に浮かぶのは、なぜか笑顔の写真だ。ネット上に漂う数多くの泣き顔の写真と違い、ありし日の夫の隣で信頼しきったように笑っている。むろん夫も。そこでの2人はいつも笑っている。
(出所:AERA.dot連載「書かずに死ねるか―『難治がん』と闘う記者」、2018年2月3日掲載)
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