「難治がん」の記者 ウーマン・村本が「ニヤリ」としたAbemaTVでの発言
働き盛りの45歳男性。がんの疑いを指摘された朝日新聞記者の野上祐さんは、手術後、厳しい結果を医師から告げられる。抗がん剤治療を受けながら闘病中。
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先月27日夜、ネットテレビのAbemaTVの「アベマ・プライム」に出演した。
東京・六本木のテレビ朝日に向けて家を出発してすぐに、腰が浮き気味なのに気づいた。緊張しかかっているようだ。「手術前でも緊張しなかったのに、なぜ」。医師任せの手術と違い、番組でどれだけ話せるかは自分次第だと考えるからだろう、と見当をつけた。
なにしろ、しゃべりたいことをプリントアウトしたらA4サイズで8ページ分もある。出演のきっかけをくれた友人からは「言いたいこと遠慮しないで全部言ってきて。割り込みまくって!」とアドバイスされていた。
テレビ局の控え室には私のために看護師さんと簡易ベッドが用意されていた。そこにあった水のペットボトルを彼女に渡して「何か厳しい質問をされたら倒れるので、よろしく」と冗談を言うと、律儀に笑い返してくれた。
控室に顔を見せた先輩とくだらない話をして、かたまりになりかけた緊張感をすりつぶした。実はこのコラムに毎回添えられている写真も彼と笑いあっている場面なのだ。少し失礼な冗談を言いつつ、このタイミングで来てくれたことに心の中で感謝する。
簡単な打ち合わせと人工肛門の手当てを済ませれば準備終了だ。番組紹介の大きなポスターが壁に張りつめられた廊下を歩いてスタジオに向かいながら、不思議な気分になった。
政治記者は、担当する政治家が報道番組に出るときはテレビ局で視聴し、出演を終えた本人に発言の意図やニュアンスを確かめる。この局にも何度も来た。それが病気になり、取材者から出演者に立場を変えて、いまここにいる。おかしなものだ、と。
スタジオでは、カメラに映らない場所に大勢の人がいた。ライトで照らされた出演者よりはるかに多い。陰から光の中へ出ていくと、ほかの出演者たちが声をかけてくれた。
すい臓がんと医師から言われたときにどう感じたか。政策の「副作用」や共謀罪の定点観測を取り上げた2本のコラムにどんな思いを込めたのか。私を紹介する14分のVTRに続いて番組は進んでいった。その様子は4日午後9時まで視聴できる。
心に残ったのは、MCの村本大輔さん(ウーマンラッシュアワー)とのやりとりだ。
「芸人ってけっこうコンプレックスとかをぜんぶネタにして、武器にするんですよ」という彼に対し、「すごく雑駁(ざっぱく)な言い方をすると、自分はがんという新しい『ネタ』を手に入れた。それをどういうふうに使ってどういうふうに表現するのか。いっちょやってみるかという感じだ」と応じると、「いいですね」と返ってきた。ニヤリ、と音を立てそうな笑顔だった。
村本さんには、衆院選の投票に行かなかったとツイートして世間をにぎわせるなど、「全身芸人」のイメージがある。こちらの目をのぞき込んで質問をぶつけてくる彼に「あんたも同類か」と認められたような気がして、嬉しかった。
70分ほどの生出演のあいだ、カメラの後ろでは配偶者が写真を撮り続けていた。どことなくはしゃいでいるように見えた。政治部にいるときは週末も仕事に追われ、今度はがんである。いったい自分は彼女に楽しい思いをさせてきただろうか? 番組では彼女に感謝の言葉を贈ることもできた。「プロポーズのようでぐっときた」と知り合いからメールがきた。
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さて、コラムのここまでは出演から一夜明けた28日に書いた。後半をどう展開するか考えながら、原稿を寝かせていた。
調子に乗った報いだろうか。29日の朝、ベッドで目覚めると首や背中のあたりがゾクッとした。胃のあたりも気持ち悪い。デジタル体温計を脇に挟むと、表示は39度を超えていた。正確には39.8度。40度近い。
テレビ出演からは1日挟んでおり、それが直接影響したとは考えにくい。前日の通院で風邪かインフルエンザをもらったのだろうか。計り直すと、2度目は39.5度、3度目は39.1度とじりじり下がっていくが、39度を割り込むことはない。熱が2日続けて下がらなければ病院に連絡し、即入院となる可能性が高い。やれやれ。
問題は原稿だ。この日の早いうちに初稿を担当者に送り、その意見を聞いたうえで2日後に最終稿を戻すことになっている。時間がたてば体調はさらに悪くなるかもしれない。最低限の初稿は届けなければとスマートフォンを使って書いていると、最終稿の締め切りが1日早まったと連絡がきた。
だが泣き言は言えない。なにしろ番組で「いっちょやってみるか」と大見えを切ったばかりなのだ。しかも高熱という「ネタ」まで転がり込んできている。
何とか初稿を書き終え、担当者に送った。看護師との会話に引っかけて「厳しい質問をされたわけでもないのに倒れるなんて」というオチにした。熱で神経が高ぶったせいか、妙に作りこんだ文章になった。一夜明けて熱が下がり、入院が遠のいたところで全面的に書き直した。それが、いま読んでいただいているこの文章だ。
本当のことを言えば、体調が万全なときを10とすると現在は5だから5割程度の文章が書ける――というものではない。いくらがんを「ネタ」と呼ぼうと、体調が本当に悪くなり、いざ大物の「ネタ」を手に入れたら何も書けなくなることはこの1年10カ月で身に染みている。
締め付けられるようなおなかの痛みでソファにへたり込み、帰宅した配偶者に「お帰り」のひとことも言えなかったこと。頭にかすみがかかったように集中できず、あれだけ好きな本を2、3ページ以上読み進められない日々が続いたこと。
しんどさの中身は別にして、これからもさまざまな大波、小波に見舞われていくことは避けられないのだ。
だからこそ、やれるときに、できることを、精いっぱいやる。そんな原点を改めてかみしめた、テレビ出演の「光」と、その後の「闇」だった。
(出所:AERA.dot連載「書かずに死ねるか―『難治がん』と闘う記者」、2017年12月2日掲載)
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