「難治がん」の記者 明日の天気は変えられないけれど
働き盛りの40代男性。朝日新聞記者として奔走してきた野上祐さんはある日、がんの疑いを指摘され、手術。厳しい結果であることを医師から告げられた。抗がん剤治療を受けるなど闘病を続ける中、がん患者になって新たに見えるようになった世界や日々の思いを綴る。
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初任地、仙台の印象をひとことでいえば「グレー」になる。何をしてもうまくいかなかった当時の気分を色にたとえたのではない。いつもうつむいて歩いていた視線の先にあるアスファルトがグレーだった。
記憶はやや不鮮明だが、若いころに車のラジオから流れてきた人生相談は、こんなナレーションで始まった。
「変えられることは変えましょう。変えられないことは受け入れる努力をしましょう」
変えられることはあるが、できないことまで変えようとしなくていい。肩の力がふっと抜けた。
その言葉が20年近くしてよみがえり、がんと宣告された自分を貫く指針になろうとは当時、知るよしもなかった。
「変えられないこと」から考えると、すい臓がんは長い共存は期待できないし、切除できなければ完全に治ることはない。私の病状では多くのがん患者のように「生きるか死ぬか」で悩んだり、再発をおそれたりするまでに至らない。それでは、どんな治療をして、(誰にとっても)限られた時間をどう使うのか。自然と意識は「変えられること」に集中していった。
●「背を向けられる」心配はあるけれど
変えられること、変えられないこと。その境目を見つめてみると、政治がより他人事でなくなった。病気ならば治療するように、人々の暮らしをより良く変えていこうとするのが政治だからだ。がんと政治が自分のなかでひとつに重なった。
コラムで政治を取り上げるのは、「生き死に」をひたすら見つめるというがん患者のイメージとは異なる。読んでくれる人に背を向けられるのでは、と心配した。
それでも、体調の悪化を実感するにつれ、内省的なことばかり書いてはいられない気持ちになった。そのうちに衆院選の実施が決まる。後事を誰に託すのか。遠ざかる読者の背中を意識しつつ、福島、若者、政治家をテーマに書いた。
働きながらがんと闘っている人は少なくない。そこに独り、生きる意味を見出す仲間たちの姿を想像した。
●天気は変えられないけれど
さて、人々の暮らしを左右しながら人が変えられないものの筆頭といえば、「お天気」である。民進党の前原誠司代表の恩師とされる国際政治学者の故高坂正尭氏は著者「日本存亡のとき」にこう記している。「われわれ日本人には、国際環境を気象のような与件としてとらえ」るところがあり、「自らも加わって変えていくことができるものとして国際環境をとらえることが少ない」。
安倍晋三首相が「国難」に挙げた北朝鮮情勢。貧困や格差といった社会問題もそうかもしれない。人は目の前の困難を天気のように変えられないものとみなしたとき、無力感にとらわれる。
過去に起きてしまったことや自然現象のように、変えられないものは確かにある。だが、人が生み出したものはそうではない。変えられる可能性が小さいこととゼロのあいだには、天と地ほどの差がある。先行きを変えられない病気を抱えた身からすると、変える余地があることまでなぜあきらめるのか、問いたくなる。
忘れられない言葉がある。今から12年前、政治部で働きだして2年目の私は、郵政選挙の熱気があふれるなか、郵政民営化の反対集会に出かけた。野党の政治家が並んだ壇上からスローガンが鳴り響く。マイクを握っていたのは政治学者の故岡野加穂留氏。その言葉のことを、欧州のことわざを七七五の台詞言葉に訳したものと著書に書き残している。
「明日の天気は変えられないが、明日の政治は変えられる」
10月22日、衆院選の投開票日。今の政治を後押しするか、その動きに待ったをかけるか。一人一人がより良いと信じる方向へ、その一票は変わりうる将来へとつながっている。
(出所:AERA.dot連載「書かずに死ねるか―『難治がん』と闘う記者」、2017年10月21日掲載)
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