「難治がん」と闘う新聞記者が小池百合子から考える、若者に伝えたい投票の心得
働き盛りの40代男性。朝日新聞記者として奔走してきた野上祐さんはある日、がんの疑いを指摘され、手術。厳しい結果であることを医師から告げられた。抗がん剤治療を受けるなど闘病を続ける中、がん患者になって新たに見えるようになった世界や日々の思いを綴る。
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すっかり時の人となった東京都知事の小池百合子さんには思い出がある。
たしか今から13年前。名古屋本社から東京の政治部に移り、小泉純一郎首相の番記者をしていたころだ。環境相だった小池さんが小泉首相と会った。会談を終えた小池さんに中身を尋ねると、「3R。調べてね」と返ってきた。
先月の記者会見で彼女は、自分が代表をしている希望の党のことを記者から質問され、「アウフヘーベン。勉強してください」と言った。あれを聞いて、懐かしい、と思った。
3Rはごみ減量にかかわる三つの英単語の頭文字をとった環境省のキャンペーンだ。「リデュース、リユース、リサイクル(※)ですよね」とすかさず答えたが、返ってきたのは笑顔ではなかった。こちらを見て黙り込んだ彼女の目つきが忘れられない。こちらが煙に巻かれて黙り込むことが期待されていたのかな、と想像した。
三つ子の魂百まで、という。何かの体験に支えられた信念や行動パターンは生涯ついて回るのかもしれない。
●水が氷に、氷が水に変わるとき
今回の衆院選は、病気の私にとって、もう2度とめぐってこないと思っていた投票の機会だ。私には、今回初めて衆院選に投票するいとこの娘がいる。三つ子ならぬ彼女に、これだけは伝えなければいけないことといったら何だろう。
――まず君に思い浮かべてほしいのは、一杯の氷水だ。氷はやがて解ける。それを冷凍庫で冷やしてもしばらくは水のままだが、ある点を超えると、また氷になる。固体から液体へ、液体から固体へ。水温が摂氏何度という「量」の変化が、「質」の変化をもたらす境目がある。
今回の選挙も同じだ。いまの与党と野党の当選者が全体の「3分の2」や「2分の1」を上回ったり、下回ったりすることで、世の中が大きく変わる可能性が出てくるのだ。
「3分の2」とは憲法を変えようと提案(発議)するのに必要な国会議員の人数だ。憲法を英訳したconstitutionには「体質」という意味があるぐらいで、これを変えるかどうかは人びとが暮らす社会のありように大きく関わってくる。もちろん、変える、変えないのどちらが望ましいかは自分の考え方次第だ。水と氷に優劣がないのと同じように。
「2分の1」は文字どおり、過半数を占めるかどうかの境目だ。政党同士は協力したり離れたりして多数派、つまり与党をめざす。
●候補者の全体像にも注意を
君たち姉妹は3カ月前に病院まで見舞いに来てくれた。そのとき話していたように、奨学金制度や子育て支援など、投票先を決める基準はほかにもある。これまでの地方選挙では選挙公報で候補者の政策を見比べて投票先を決めていたと聞いて、感心した。
ただ、知っておいてほしいのは、自分なりの基準で投票先を選んでも、結果的に相手が掲げるほかの政策も支持したことになる、ということだ。子育て支援に熱心なところにひかれて票を投じたら、憲法についての考え方は違った。あるいは、憲法では支持できるのに、奨学金ではいまひとつだった――。そんなことはざらにある。
まずは自分なりに、投票先を選ぶ基準に優先順位をつける。そのうえで、目の前にいる候補者の背後にある全体像にも目を配る。そのふたつが大切だ。
私は新聞記者だから、政治の記事を参考にしてほしい、と考える。せめて投票する当日、できれば数日前から目を通してくれたら、と思う。もちろん、いますぐ読み出してもらったほうがいいのだ。ただ、まだ慣れないだろうから、投票日までにあきたり、ひょっとしたら政党のごたごたぶりに投票そのものが嫌になったりしてしまうかもしれない。でも棄権はすべきでない。せめて当日と言ったのは、そういう意味だ。
何を今さらと君は思うかもしれない。それでも、今回の選挙はとても大切だと思うから、伝えておきたいのだ。
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「3分の2」と「2分の1」。これは私にとって政治だけではなく、命に関わる数字だった。出血多量に陥ることなくがんを切除し、完治への道が開けるかどうか。その境目となる太い血管の巻き付き具合を、この数字は指していた。
社会のありようと自らの生き死。ふたつの「質」の変化が同じ数字をめぐって交錯すると昨年の参院選前に気づいたときは、因果なものだと思った。
「数字だった」と過去形で書いたのは、いまや治療の面ではあまり意味がなくなったからだ。最近はもっぱら政治のことで頭に浮かべている。
先日、秋口に入って初めて部屋に電気ストーブをつけた。体温調整がうまくできないせいか、季節の変わり目がじかに体に響く。あと数週間もすれば、と思う。福島で働いていたとき、遠くに眺め、たびたび訪れもした吾妻山に初雪が舞うだろう。
※3R
リデュース(reduce)=ものを大切に使い、ゴミを減らすこと。
リユース(reuse)=使えるものは繰り返し使うこと。
リサイクル(recycle)=ゴミを資源として再び利用すること。
(出所:AERA.dot連載「書かずに死ねるか―『難治がん』と闘う記者」、2017年10月7日掲載)
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