「難治がん」と闘う新聞記者が、牛カツのことを書きながらも心でくすぶっていた思い

働き盛りの40代男性。朝日新聞記者として奔走してきた野上祐さんはある日、がんの疑いを指摘され、手術。厳しい結果であることを医師から告げられた。抗がん剤治療を受けるなど闘病を続ける中、がん患者になって新たに見えるようになった世界や日々の思いを綴る。

*  *  *
 人生の階段をまた一段降りた。

 2週間前の病院からの帰り道、ふとそんな気持ちになった。

「野上さんは今日、抗がん剤の点滴を目指して来られたわけですが」と医師は切り出した。「目指して」という言い方に嫌な予感がした。続けて口から出たのはやはり、この日は血液検査の結果が悪くて点滴できない、との説明だった。

 私がいま使っている抗がん剤は2種類。そのうち効き目と副作用が強いほうは検査結果に基づき、少し前から見送りが続いている。残る一方も点滴できなかったのは、それだけ体の状態が悪くなっているということだ。

医師は診察中もほとんどパソコン画面を向いたままだった。夏休み中の主治医の代診だからか、あれこれ尋ねても通りいっぺんの答えしか返ってこない。ならば徹底的にきいてみるかと思ったが、やめた。ドア1枚隔てた待合室には大勢の患者さんがいる。みんな私と同じように貴重な時間を使って待っているのだ。

診察室を出ると思わず、ふーっと息が漏れた。

 せっかくだから、気晴らしに何か食べて帰るとするか。頭に、前日読んだエッセイでおいしそうだった牛カツが浮かんだ。

 点滴をしていないから、副作用の一つである筋肉痛があとで出はじめる心配はない。スマートフォンで店を探し、小雨の中、タクシーを使わずに歩き出した。

●回り道をする余裕はない

 節目といえば節目である。食事のあいだにも自分の心がどう動いたのか、家に帰ってから書き始めた。

 牛カツを食べる機会はこの先そうないだろうと、定食の肉はいいほうにしたこと。5種類ある調味料をすべて試そうと初めは考えたが、回り道して失敗している余裕はないと思いなおし、店が初めに出してきたガーリックソースと店員おすすめの塩だけで食べたこと。つまりはメニュー選びから食べ方まで「階段を降りた」気分に覆われていたという驚きを、原稿に仕立てた

●小石、放り続ける

 これまでコラムを何本か書いてきて、患者として心の内をつづったものほど読まれているという実感がある。今回のことも、牛カツに絡めてそのあたりを書こうと思っていた。

ところが、書き終えてなお心にくすぶるものがあった。自分の内面を掘り下げるばかりではなく、目をもう少し外にも向けるべきではないか、という思いだ。なにせ自分は階段を降りつつある。(誰でもそうだけれど)人生の時間は限られているのだ。

 考えついたのが、もしも共謀罪が社会をむしばむ「がん」だったら、という前回の話だ。仮にそうならば、法律ができてもまだ病気にかかったに過ぎない。自分は毎週のように血液検査を受け、35項目もの数字をチェックしている。そのように法律をめぐる動きを幅広く定点観測し、大きな動きがあるときに限らず、定期的に報じてはどうか――。

 そう記したコラムには、思ってもみなかった人から好意的な反応があった。霞が関で働く知人からもメッセージが届いた。「この法律は定点観測が必要。息の長い取り組みは新聞だからこそできることだ」とあった。

 記事は世の中を一方向に変えようと書くものではない。以前、「記事を書いたら、祈る」と題したコラムにそう記したことがある。変わってくれたらと記事に思いを込めつつ、あとは読者にゆだねる。暗闇の池へ念じながら小石を投じるような気持ちを「祈る」と表現した。

 あるだけの小石を放り続けようと思う。どんな波紋がどれだけ池に広がるか。それはわからないけれど。

(出所:AERA.dot連載「書かずに死ねるか―『難治がん』と闘う記者」、2017年9月23日掲載)

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