「難治がん」と闘う新聞記者が、いつもの血液検査から気づいた「定点観測」の重要性
働き盛りの40代男性。朝日新聞記者として奔走してきた野上祐さんはある日、がんの疑いを指摘され、手術。厳しい結果であることを医師から告げられた。抗がん剤治療を受けるなど闘病を続ける中、がん患者になって新たに見えるようになった世界や日々の思いを綴る。
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月に何回、針を刺されているだろうか。検査で4、5回、点滴で9回。これに失敗の回数を加えると、15回にはなる。
抗がん剤を使っていると刺しにくい血管になるらしく、失敗した看護師さんにときどき「1回抜いて、刺し直してよろしいでしょうか?」と尋ねられる。「よろしくない」と答えたら、どうするつもりなんだろう? チクッとした痛み、血管の奥までズブズブ潜り込む気持ち悪さ。どちらにも慣れないけれど、それが続く人生には慣れて受け入れなければ、と思う。
まず現状を知り、対策を立て、実行する。それが治療のサイクルだ。
ほぼ毎週の血液検査で調べるのは35項目。診察で医師から渡されるA4サイズの紙には、直近の2カ月分の数字がずらりと並んでいる。その日に抗がん剤の点滴ができるかどうかは検査の結果次第だ。これに月1回のCT検査が加わり、がんがすい臓から広がっていないか、パソコン画面のモノクロ画像に目を光らせる。
こうした定点観測をしたからといって、毎回何かが見つかるわけではない。ただ、前回と変わらないというのも大切な情報だ。
ところで、がんはしばしば組織や社会に悪影響を及ぼすもののたとえとして使われる。「あいつは我が社のがんだ」といったように。
民主主義社会の根幹である「思想・良心の自由」を損なう悪法か。あるいは、テロ対策に欠かせない法律か。きわめて乱暴な言い方をすると、がんなのか、それとも体にいい「何か」なのか。それぐらい見方が割れていると感じたのが、共謀罪の法案をめぐる報道だ。
●山尾志桜里衆院議員の不倫疑惑でわずかに触れられた共謀罪
ふつう報道機関は、何かがあったときにニュースとして報じる。私が38.7度の熱で床に伏せっていた6月15日に成立すると、熱が冷めるように新聞・テレビの報道はめっきり減った。7月の施行日ごろに少し盛り返したものの、最近は民進党の山尾志桜里・元政調会長の不倫疑惑に絡んで取り上げられたぐらいの印象しかない。その法案審議で法相を攻め立てた山尾氏が、男性弁護士にブレーンとして手伝ってもらった分野の一つに挙げたのが共謀罪だった。
仮に共謀罪が、民主主義を死に至らしめかねない「がん」だとしよう。法案が成立して法律になったとしても、それはまだ病気を体に宿したに過ぎないのではないか。政権交代による法改正といった「切除」も視野に入れるべきか、まずは定点観測をする。そして動きがあるにせよないにせよ、定期的に報じていくことが必要なのではないか。
目のつけどころとして、すぐに思いつくのは摘発件数だ。が、それが表に出てくるのはかなり進んだ段階である。ただ、血液検査と違って数字で比べるのは難しい。どんな項目に注意すればいいかと素朴な想像をめぐらせた。
たとえば法律の具体的な運用方針だ。捜査当局の内部ではどれぐらい詰まっているのだろうか。これとかかわる捜査手法の議論はどうだろうか。来年度予算案の概算要求に関連予算は計上されたのか。与野党の政治家はいま、どんな動きをしているのだろうか――。
●どんな動きに注目するのか
もちろん、言うは易しだ。こうして書いていても、目の前の動きを日々追いかけている仲間たちが実行に移すのは簡単ではない、と思う。
ただ私のことで言えば、病気が見つかったのは血液から腫瘍の有無を調べる腫瘍マーカーを人間ドックの検査項目に自費で加えていたからだ。そこで見つけなければ、今こうしてものを書いている時間もなかったかもしれない。どんな動きに注目するのか。あらかじめ想像の幅を広げておかなければ、実は何かが動き始めていても見逃してしまうのではないか。
同じ定点観測でも、血液検査と報道では大きく違う点もある。
検査をしても、それによって腫瘍が伸び縮みすることはない。これに対し、報道の場合は、読んだ人の受け止め方によって、体の状態が変わりうるのだ。動きに危機感を覚えて街頭に立つ人や、選挙での一票に思いを託そうとする人。逆に、動きがないと心配し、首相が「導入することは予定していない」と国会で答弁した「新たな捜査手法」を求める声も出てくるかもしれない。
それで構わない、と思う。読者に判断材料を示すのが報道機関の役割だ。
私が毎週のように血液検査をするようになって1年以上たつ。それが頭の中で政治と結びついたのは、最近のちょっとしたできごとがきっかけだ。
その話はまた、次回に。
(出所:AERA.dot連載「書かずに死ねるか―『難治がん』と闘う記者」、2017年9月16日掲載)
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